妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

三長三本

さんちょうさんぽん #247

三長三本

さんちょうさんぽん

日朗の延慶二年(一三〇九)の置文に「第一比企谷長興山妙本寺、第二平賀長谷山本土寺、第三池上長栄山本門寺、三長三本永く三寺一寺たるべし、法水更に同ぜざるべからざるものなり、中に取りて本土寺の事は貴坊日伝上人へあづけ申すなり」(『宗全』上聖部)とある。
三長は長興山、長谷山、長栄山の山号の「長」を取り、三本とは妙本寺、本土寺、本門寺の寺号の「本」を取ったもの。
三山は、身延中山と共に関東における教線拡張の拠点で、この置文は比企谷門流の結束が強まった時、あるいはその門意識が高揚した室町中期ごろの成立と考えられている。
平賀本土寺は、日典(改め日伝)の時貫主を置いたが、両山(比企・池上)は近年(昭和一六年)に至るまで「両山一主」を保持し、徳川康の入府まで、歴代の貫首は比企に在山した。
《『史大辞典』一一巻「日朗」の項》

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