いんじゅ
本寺の主職の呼び名。
日蓮聖人滅後には身延山が教団の中心と考えられたが、身延が常住持制となり、諸国に分散して教化弘通の法線をはった六老ないし中老僧といわれる諸師が、夫々の地に根拠を置いて一門を形成するに至り、それらは自ら一定の寺をもって本寺と定め、諸他の寺を末寺とするようになった。
このような本寺の主職は、別当・貫主・寺主・院主等と呼ばれた。
本来は別当あるいは貫主と呼ばれるのが一般的であったが、院主とも呼ばれた。
因みに日興上人書状に「総じて久遠寺之院主学頭は未来までも御計へて候べし」(『宗全』第二巻一六九頁)と書かれてある。
《『遺文辞典』歴史篇「院主」の項》