妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

総本寺

そうほんじ #4474

総本寺

そうほんじ

本山に属し、多くの末寺を有するものを本寺というが、その本寺および諸末寺を統轄する寺院のこと。
応永七年(一四〇〇)六月、京都本寺日伝は、尾張萱津妙勝寺をもって板東総本寺とし、同門流弘通の拠点とした。
日伝は応永五―六年頃、尾張に下向し弘通したが、日蓮聖人の直弟日妙が創した妙勝寺が本国寺の日伝に帰入したので、日伝は同寺を板東総本寺とし妙勝寺日禅をして同門流の責任者とした。
ち応永七年六月八日日伝より妙勝寺日禅宛の書状には、「今より以後は板東総本寺たるべく、若し我慢の輩違背せしむるに於ては、当門流の名字を揆(は)ね出すべし、仍て定むる所件の如し」とある。
近世に入ってもその寺格は受継がれたが、正保四年(一六四七)の同寺二〇世日賢の書上によれば、妙勝寺は僧坊七堂を完備し、末寺三〇余ヵ寺を有する大寺であった。
また近世初頭の肥後日蓮教団は、領主加藤清正庇護のもと強力な展開をみせ、多くの寺院が建立された。
それらの寺院は、いずれも加藤清正建立の本妙寺末かその本山である京都本寺末であった。
かかる状況をみた本寺日桓は、慶長一六年(一六一一)一〇月一〇日本妙寺日真に対し、「肥後発星山本妙寺は則ち肥州大守清正、現当二世の為御建立の霊地也、之に依て九州の惣本寺たるべし」とし、本妙寺をもって同門流の九州惣本寺と定め、門流活動の拠点とした。
《『史大辞典』六巻「寺格」の項》

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