講談
講談
こうだん
寄席(よせ)演芸の一。
軍談、お家騒動、敵討、政談、武勇伝、立志伝、狹客伝、世話物などを史実と伝説を混合しながら、調子の良い巧妙な話術によって、面白おかしく語るもの。
講談は近世まで講釈といわれた。
講談の名称は明治初年、東京府から斯界の業者に下付した鑑札にそのように記されてあったのが初めだといわれるが、更に淵源をさかのぼれば戦国時代の辻講釈・辻軍談、江戸時代の太平記読み等に発している。
今日のいわゆる演芸としての講談は宝暦年間(一七五一-六四)以後の森川馬谷(ばこく)より始まったとみてよい。
馬谷は浅草見付に江戸最初の講釈場を開き、聴客の意を迎えて、これまでの『太平記』『源平盛衰記』等古典を読むだけでなく、続々と『大岡政談』や『伊達騒動』等の新作を加え、一方話術にも苦心研究してこれを興行の対象にまで引上げた。
馬谷の講釈場は太平記場と呼ばれたが、その繁盛するのを見て江戸市内には陸続と講釈の定席ができ、演目も豊富に内容は多彩を極め、各流各派の名人上手が輩出して江戸講釈の全盛時代を現出した。
現在講談の演目は大別して「軍談」いわゆる軍書物・修羅場と「御記録物」即ち諸家記録・諸家騒動物と、その他の「世話物」「端物」の三種に分類されるが、明治以後は特に世話物の新作が盛んになり、その大成者として二代目松林伯圓があるが、この伯圓の全盛時代を頂点として講談の勢力は漸次下降衰微し、現在ではわずかに世話物の存在によってのみ、その命脈を保っている。
世話物に属する演目の一系統として、高僧、名僧伝の講談があり、各宗の開祖はほとんど出揃っている。
しかしこれらは概して信徒を対象とした法談、説教用に作られたものらしく、寄席の一般聴客には余り喜ばれなかったが、とりわけ例外は、日蓮聖人の御一代記と一休禅師の回国記であった。
特に聖人の一代記は講談演目として大物で比較的地味な話をジックリ聴かせるにはよほどの修練と技術が必要とされた。
その講談師としては、日蓮記一本の全国巡回公演で生計を立てたという二代目柴田南玉(なんぎよく)が最も著名で、彼は実によく伝記を読み、また霊場遺跡を尋ねて土地の逸話を拾い、風景なども話に取入れ、劇的な場面を盛り上げたという。
その後、三代目南玉も日蓮記一本で通したから、親子二代にわたり聖人を講じたことになるが、その結果、一代記は柴田派の特定演目となり、抜き読み以外、通しで講ずる人は柴田派の他にはなかったようである。
また高僧伝とは裏はらに、破戒堕落の僧の話は世人の好奇心に訴えて多くの聴客を集めたが、その代表的なものが日暮里の延命院日当事件の講談であったというのは、如何にも本宗として皮肉な結果であった。
《『国史大辞典』五巻「講談」の項》