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法華会

ほっけかい #3826

法華会

ほっけかい

法華会の創立者は、その頃の東京帝大学法学部授山田三良(やまださぶろう)博士である。
その夫人繁子は、日蓮聖人の直檀として知られている静岡県伊豆韮山の江川の出であった。
その縁をもって山田三良は江川に伝わる法華経と聖人の遺文に接し、非常な感激を受け、遂に本宗の熱心な信者となった。
この頃、我にとって一つの痛恨が起った。
明治皇の崩御である。
ここで我の前途を憂えた山田三良は、法華経の教義と日蓮聖人の主張とを、現代に宣伝すべき急務を認め、法華会を創立して文筆と言論との二途によって、この大を果そうとした。
法華会の創立発起人は、大審院検矢野茂、小林一郎及び山田三良らであった。
この人々が山田宅に集って、相談を重ねて次の項を決定した。
(一)法華会を組織し、在家側及び寺院側の有志者を会員とすること。
(二)月刊雑誌『法華』を発行すること。
(三)山田三良、矢野茂、小林一郎の三名を幹とし一切の会務を処せしめること。
(四)小林一郎を編輯主任とすること。
(五)浅井要麟を庶務主任とすること。
等を申し合わせた。
そして大正三年(一九一四)五月一二日(聖人伊豆法難会の聖日)を期して、小石川植物園において発会式を挙げた。
この日『法華』の第一号を発行した。
このの発刊の辞によると、明治皇の崩御を悼み、皇の前途を憂え「顧るに、既往五十年間に於て、専ら西欧文明の輸入に力を用ひ、専ら物質的方面の発展に腐心せる我が同胞は、其の多く自覚せざる間に、極めて不健全なる風民俗を作り成し以て今日に及べるなり」と述べ、これを救うには、正しい信仰がなければならぬとし、日蓮聖人事蹟に言及し「特に、吾人が意を強うすべきは、身命を惜まずして、斯る宏大なる法華経の教義を宣伝せる日蓮聖人を吾人と同一土より出せることなり。
漢土に於ける天台大師、本邦における伝教大師は、共に法華経の真意を攻究し宣伝することに全力を注ぎたりしとは雖も、其の態は、なお学究的を離れざりき。
日蓮聖人に至りては“日本第一の智者”たるべき覚悟と“一切衆生の苦を救うべき”慈悲心とよりして一代蔵経を読破して法華経の最勝なる所以を明にし、更に之が広宣流布すべき最初の土としては我日本帝以外世界に、また、無きことを断定し、自ら身を以て、之が弘通の魁となれる者なり」。
このように述べて、法華経の養と日蓮聖人の主張とを現代に宣伝すべき急務を認めて法華会を創設したのである。
このようにして、法華会は創立したのであるが、昭和一八年(一九四三)五月、法華会は発展して、財団法人となり、左の如き寄付行為を定めた。

財団法人法華会の寄付行為
第一条 本会ハ財団法人法華会ト称ス。
第二条 本会ハ務所ヲ東京都牛込区弁町百七十二番地二置ク。
第三条 本会ハ日蓮聖人ノ垂範ニ基キテ、法華経ノ真義ヲ宣明シ、此ニ依リテ、民生活ノ根底ヲ培養シ、以テ皇ノ興隆ニ資スルコトヲ目的トス。
第四条 本会ハ前条ノ目的ヲ達スル為左ノヲ行フ。
一、法華経並ニ日蓮聖人学ノ研鑚。
二、月刊雑誌法華ノ発行。
三、宗教及修養ニ関スル刷物ノ発行。
四、演会、習会及座談会ノ開催。
五、行学ノ二道ニ精進スル優秀ナル学徒ノ援助 六、其ノ他会ニ於テ必要ト認ムル
以下略。

この外の数。
議決の方法。
会員の規定その他の項である。
また法華会の事業としては、千葉県中山法華経寺内に聖教殿を建立し聖教護持財団を設立していることである。
月刊誌『法華』は、昭和五三年九月には創刊以来通巻六四二号となっている。
としては、
(一)毎月(八月を除き)第二土曜日午後六から、東京神田の学士会館において、話会と座談会を開催している。
(二)単行本を刊行している。
(三)書籍の取次ぎをしている。
(四)カセット・テープを刊行している。
(五)地方における習会演会の開催。
(六)花祭りの開催。
(七)物故者法要の奉行。
(八)聖教殿の維持。
《一般財団法人法華会法華会創立百周年紀要』(平成三一年)、『国史大辞典』一四巻「山田三良」の項、浜島典彦『お題目と歩く―近世・近現代法華信仰者群像』》

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