会式
会式
えしき
日蓮聖人の忌日に修する法会。
会式とは法会の儀式を略していう。特に日蓮宗に限られたものではないが、日蓮宗では日蓮聖人の忌日に行う報恩会の事を指す。
日蓮聖人は弘安五年(一二八二)一〇月一三日に東京池上の地で入滅された。
この日を中心にして全国各地の日蓮宗寺院で報恩会の法要が営まれるが、ことに入滅の地である池上本門寺の会式は盛大で、逮夜にあたる一二日夜は数十本の万灯行列と共に、数十万人の参詣の列で境内を埋めつくし、終夜団扇太鼓の音が絶えない。
中世においては「大会(だいえ)」、「御影講(みえいこう)」「御影供(みえいく)」「御命講(おめいこう)」などといわれていた。
これは日蓮聖人の御影(肖像)のまえで開く講会という意味をもってよばれていたのである。
明徳二年(一三九一)一〇月一二日に会津若松の日意阿闍梨の御房に着いた日什が、後世の日什門流の恒例とすべき法会を行っている『日運記』)。
それによると「御影講」と称し、逮夜には「読誦は一品ニ半、さて両品あそばして御説法也」、正当日は「両品計りにて御説法有り」と記されており、経典の読誦よりも説法に重きがおかれていたことがうかがえる。
「御命講(おめいこう)」というのは「御影供」から転訛したもので、弘法大師忌の御影供(みえいく)に対してこれに大の字をつけて「大御影供」とし、さらに供を講とかえて「大御影講(おみえいこう)」となって「おめいこう」になったといわれる。
松尾芭蕉の句に「御影講や油のやうな酒五升」があり、さらに尚白に宛てた書簡に「菊鶏頭切尽しけりおめいこう〈愚句〉 句はあしく候へ共、五十年来人の見出ぬ季節、 愚老が拙き口にかかり、もし上人の真霊あらば我名をしれとぞわらひ候」とあり、門人の許六にも「御命講」を季題とする句があるから、元禄の頃には江戸を代表するような盛大な行事となっていたことが知られる。
『東都歳時記』には、八日より一三日までを法華宗寺院御影供(おめいこう)法会としてあげ、雑司谷法明寺、堀之内妙法寺、池上本門寺、深川浄心寺、谷中瑞輪寺、本所法恩寺、青山仙寿院、丸山本妙寺、下総真間弘法寺等の名をあげている。
ことに堀之内妙法寺の項には八日よりの法会の次第をのせている。
「〔八日〕寿量品若干〔九日〕妙経一より四迄〔十日〕読誦五より八迄〔十一日〕貝葉転一より四迄〔十二日〕挙金典五より六迄日中三礼、出楽「五常楽」、法味「如寿量」、咒讃 雙鉢 伽陀 惣礼 音楽「羅陵王」、真読「久遠偈」、散花、開経偈、法花八講 論儀 讃歎語 祈祷「陀羅尼品」、玄題 円頓章 還楽 「酒胡子」〔十三日〕妙典七より八迄 正午 三宝礼 出楽「武徳楽」、読経「本迹枢要」、梵唄 銅鈸 訓読「宝塔偈」対揚 惣拝 音楽「賀殿」、献香花「児童」、訓読「神力品」、祈祷「惣持品若干」、普賢咒 玄題 円頓章 還楽「太平楽」以上。
おなじく一一日の頃には池上本門寺会式のことを記して、「開扉あり。
十二日の夜通夜の人多し、夜中説教あり、十三日、十四日には門前笊籠の市立つ(略)今日祖師御更衣あり」とある。
徳川家康の江戸城開府によって江戸及びその近郊が急速に発展してゆき、江戸近郊という立地条件から、日蓮聖人の御入滅の霊地である池上本門寺の会式行事が日蓮宗を代表するような大法会となり、江戸の民衆も参加する江戸の祭りの一つとなっていった。
身延山一一世行学院日朝の『法則』類に一〇月一三日の「御影講」が記されているが、身延山年中行事を記した二四世顕是院日要(在元和元年=一六一五-一九年)によると、「十月 祖師会 三箇日法要 十一日 結衆集来七条法服讃唄散花八講両高座午刻出仕 十二日 巳刻三箇国諸末寺衆非衆来一部真読酉刻満山集来讃伽陀御説法大衆舞舞童 十三日 午刻満山諸末寺衆分出仕楽祭文三童役讃伽陀散花梵音対揚御説法廻向楽」とあり、身延における会式のありさまが想像できるが、江戸における会式の迎え方とはおおいに異る。
『東都歳時記』に、「法会の間一宗の寺院仏壇をかがやかし造花を挿し荘厳目を驚かしむ、参詣の輩は月末迄出る。
在家にも宗門の徒は会式と称して祖師に供養し客を迎う。
祖師に供する所のみ五彩に色どりたる餅をこまくら餅という」とあるように、寺院ばかりではなく、在家信徒の家でも祖師の供養が行われたのである。
現在でも会式を迎えるときは、造花の桜をかざり五彩にぬったこまくら餅を必ずかざる。
こまくら餅は鎌倉餅のあやまりだと『東都歳事記』でいっているが、こまくら餅は小枕餅と書き、細長い半円筒型の形が小枕に似ているところから出た言葉であり、「小まくらを櫛がたに切る十四日」という句がある。
また、会式の名をたかめたのは「万灯」である。
ただ池上の会式に万灯がみられるようになったのはいつ頃からか定かではないが、文化文政期以後の、錦絵に講の紋や名を書いた大きな提灯を竹竿にくくりつけ、上部に桜の造花をつけたものがみられる。
のちに提灯型からあんどん型、さらに五重塔を模した層塔型へと変化し、桜花も竿の頭から長い割竹を八方にたらすようになってきた。
現在では、本門寺には五〇講中近い万灯が毎年くり出されるが、その大部分は五重塔を模したもので、日蓮聖人の御一代記を描き、バッテリーで色電球を点滅させる豪華なものになってきている。
万灯に火消の纏がつき、鉦、横笛、太鼓で独特のリズムのお囃子にのって本門寺までの道中をねり歩いてくる。
一三日の午前八時には日蓮聖人ご入滅のとき日昭上人が打ちならしたという故事にならって「臨滅度時の鐘」が貫首によって打ちならされ、前夜から参籠している満堂の人々とともに往時をしのびしめやかな法要が営まれる。
《『日蓮辞典』「御会式(おえしき)」の項、『国史大辞典』二巻「会式」の項、宮崎英修『日蓮宗徒群像』》