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芭蕉

ばしょう #4585

芭蕉

ばしょう

(一六四四-九四) 正保元年生れの俳人。
北村季吟について俳諧はもとより広く和漢の古典を学んだ。
初めは伊賀の上野城代藤堂新七郎良精の臣で、その子主計良忠に仕えたといわれている。
寛文六年(一六六六)二三歳の良忠が世を去ったので、主を離れて俳人生活に入った。
旅を好み『奥の細道』にみられるような長途の旅行をしながら俳諧の道に生きた。
彼の俳風は「枯淡の美」といわれているように、「わび」または「さび」の特徴ある蕉風をきずきあげた。
人として豊かな素質を持ち、にも深い関心を示しつつ、俳諧の革新をなしとげた功績は大きく、世に「俳聖」と称されている。
日蓮聖人についても御遺文を読んで句を作ったり、あるいはお会式に参列したりしている。
御命講や油のやうな酒五升」という句が代表的であるが、この句は現在身延山内に句碑が建てられている。
この句は元禄九年(一六九六)に門人史邦の編集した『芭蕉庵小文庫』の中にある。
また元禄五年の『忘れ梅』の中には、「菊鶏頭切りつくしたる御命講」の句もみえる。
旧暦のお会式頃ともなれば当然菊はもちろん鶏頭まで、切り尽して御会式にお供えしてしまったという句意であり、お会式の盛んな状況を詠ったものということができる。
既にこうした句から、芭蕉の頃には「お命講」という日蓮宗の行事が、広く天下に知れわたり、俳句の季語として認められ通用していたことがわかる。
元禄七年(一六九四)一○月一二日大坂で没、五一歳。
古来、蕉門では命日が日蓮聖人の御会式と日を同じくするところから、御会式芭蕉忌の句会が、よく重ねて催され多くの佳句を世に伝えている。
《上田本昌「俳諧文学に現れた日蓮聖人」『棲神』三八号、宮崎英修『日蓮宗徒群像』、『国史大辞典』一三巻「松尾芭蕉」の項

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