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講会

こうえ #4822

講会

こうえ

講会とは説法や供養信仰儀礼等を行なうため、僧侶・信者が集まって催される会のこと。
日蓮宗では古来、唱題行を中心とする「お題目講」が、各寺院社などで、盛んに催されていった。
お盆やお彼岸等には決ってこの題目講会が開かれ、年々盛んになっていった。
日蓮聖人滅後にはお会式を始めとして、開山会や四大法難会等に、題目講会がもたれ、それぞれの菩提寺に檀信徒らが大勢集り、題目講会・聞法講会等が開かれて、日蓮宗ならではの盛況を呈したのである。
特にお会式講会は本宗独自の講会として、「御命講」または「御影講」と呼ばれ江戸代に入り一般庶民ので、華やかさを増していったのである。
本来、お会式講会は日蓮聖人の入滅を悼むためのものであったが、年が経つにつれて、法華信仰を身をもって弘められた聖人に対し、報恩感謝の誠を捧げるためのものとなり、法悦歓喜のあまり「万灯」を造ったり「会式桜」を飾って一〇月一二日の夜から、命日の一三日へかけて、夜通し「万灯行列」や「会式おどり」または「歌題目」等が催されるに至ったのである。
なかでも池上本門寺は、聖人入滅の聖地であるから、この講会は盛大であり、身延山を始め全の各地ではそれぞれの特色を活かして華やかに繰広げられるに至った。
こうした講会は、当の文学作品の中にも大きく取入れられたのである。
会式講会は地方によって旧暦や一と月遅れで行ったり、寺院によっては互いに日時をゆずり合って行い、信徒や僧侶同士の便をはかり合っている。 お会式講会には「歌題目」や「会式おどり」「お会式行列」等地方によって関連した行がもたれ、特に「万灯行列」は有名となっている。
こうした講会は多くの俳句和歌、及び漢詩や戯曲の中にも取入れられている。 例えば、「御命講や油のやうな酒五升 芭蕉」「精進の多き大工や御命講 許六」「御影講の蓮やこがねの作り花 蕪村」「御命講の華のあるじや女形 太祇」といった代表的な句が残されている。
このお会式講会の他にも、日蓮宗ではいろいろな守護神を祀った縁日・祭典等があり、そのつどお題目が開かれている。 例えば「妙見」や「鬼子母神」あるいは「八大竜王」といった講会がもたれて、各地では盛んに催された。
こうした講会は江戸時代の庶民を中心とする文化の発展に伴い、また宗門内の各地檀林における教育の興隆につれて、講説・写経・法会等が盛んとなり、民間の結社や講社などの結成を生み、それぞれに定例の講会を開くこととなっていったのである。
またこの代は、身延山を始めとして、各本山格の大寺では、盛んに江戸や京・大坂方面へ「出開扉」をするようになり、開扉講会もしばしばみられるようになっていった。
こうした講会一連の行事は、盛んになるにつれて、浄瑠璃や歌舞伎の世界でも法華信仰に関連した作品が上演され、井原西鶴や近松門左衛門らにより広く紹介されていったが、こうした中にも日蓮宗の講会の場面が登場し、庶民の手の中でゆるぎないものとなっていった法華信仰の一面を浮き彫りにしているものがあるといえる。
更に「浮世草子」や川柳・狂歌の方面へも浸透し、池上・堀之内中山等の講会がこうした作品へも反映していっている。 例えば川柳の『柳多留』には、「逆さまな題目を八百屋取り」というのが載っている。 これは紀海音の作である『八百屋お七』(歌舞伎芝居)のことであって、お七の親は日蓮宗であったので、娘が親より先に世を去って「逆さま」な不幸にあったため、所属の題目から典を受取ることになったことを句にしたものである。
また文化一〇年(一八一三)江戸代の森田座で上演された『お染久松色読販』は序幕から題目太鼓で始り、妙見様へのお百参りや「妙見」の世話人である「頭(こうがしら)」などの台詞が出てくる。 妙見様の信仰から講会が盛んとなり、次第に個人の信仰から集団で行う信仰形態が生れていったことを物語っているものといえる。
日蓮宗信仰はこうして講会による信仰が次第に大きく輪を描いていったのである。 講会のもつ意義はきわめて大きいものがあった。
《上田本昌「法華信仰と文学」『近世法華仏教の展開』、山上ゝ泉『日本文学と法華経』、『日蓮聖人典』(雄山閣)「飯高題目講」「松ヶ崎題目講」の項、小松邦彰・花野充道『日蓮団の成立と展開』(春秋社『シリーズ日蓮』三)

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