五重塔
五重塔
ごじゅうのとう
釈迦入滅後インドにおいて造られた塔婆(スツーバ)は舎利奉安のための半球形の墳墓形式のものであり、一般にその形状により覆鉢塔と呼ばれる。
現在ではサーンチーやタキシラの覆鉢塔遺跡など、阿育王時代に造られたと認められ、最も古式を伝える舎利塔ということができる。
しかし、わが国に伝来した高楼形式の仏塔の源流は、ガンダーラで西方文化と結合して多くの変化をとげた舍利塔の形式が仏教の東漸と共に中国に入り、当時すでにかなりの発達を示していた中国式高楼建築に融合し、楼閣の形を示したことに始まると考えられ、これが木造塔として、半島を経由してわが国に伝えられた。
中国の造塔は多くは塼造と木造であったが、古い木造塔は記録に多く残されてはいるもののその多くは廃滅し、現存最古のものは山西省応県の仏宮寺釈迦塔で、この裳階(もこし)付の八角五重塔は遼時代の一〇五六年頃の造立とされている。
これに対し、現在わが国に遺存する仏塔の多くは、その殆どが純木造建築で、その古さや数の多さにおいて、貴重なものとされている。
これは豊富にして良質な木材が容易に入手できたことにもよるが、風土や国民性が木造建築の当時工作に適していたと思われる。
本宗においては東京都本門寺・市川市法華経寺などの関東地方のものに特色があり、本門寺五重塔の例をとれば、二重以上を禅宗様の技法で組上げているが、四天束(してんつか)(四天柱ともいう)も、同様、当時楼門や城郭建築などに採用され始めた通し柱の構造法を取入れ、各重毎にある内部繋肘木(つなぎひじき)の間に一本通しの束材を立て直接支持するようにし、この四天束に尾垂木(おたるき)隅木(すみぎ)、通し貫(ぬき)を組込んで、軸部、軒回りの構造をより鞏固にし簡便にしている。
この方法は三重塔では更に古くから試みられていたが、より本格的な五重塔の構造にも採用されたのは、当時の建築技術の豊富な経験とその実績を示すものとして評価されている。
なお江戸時代に入って法華経寺などの五重塔において、心柱を心礎からやや浮かせて四-五重の枠組から懸架する方法が採用され、しばしば耐震的な配慮からとも伝えられるが、その効用はむしろ軸部の圧縮垂下に伴う四天束や相輪部との浮上がり防止とその調整に役立つのではないかと思われる。
五重塔の重要文化財は二二基、本宗におけるものはさきの二基と羽咋市妙成寺の一基及び富士宮市大石寺五重塔と合わせて四基ある。また近世のものとして妙宣寺塔、近代の竜口寺塔などがあり、現代に建てられた孝勝寺塔、身延山久遠寺塔などがある。
《『広説仏教語大辞典』「五重塔」の項、『岩波仏教辞典』「塔」の項》