二十四字
二十四字
にじゅうよじ
法華経不軽品の「我深く汝等を敬う。敢えて軽しめ慢(あなど)らず。所以(ゆえ)は何(いか)ん。汝等は皆菩薩の道を行じて、当(まさ)に仏と作(な)ることを得べければなり」の経文のことで、原漢文では二十四字なので日蓮聖人は「我深敬汝等の二十四字」といわれ、不軽菩薩が但行礼拝の身業と共に唱えられた口業である。
日蓮聖人は、『法華文句』において、不軽の但行礼拝は「初随喜の人」であり、衆が欲せざるに強(しい)て二十四字を説いた理由は「本已有善(ほんいうぜん)、釈迦は小を以て之を将護し、本未有善(ほんみうぜん)、不軽は大を以て強て之を強毒す」と釈されていることを受けて、安楽行品は摂受、不軽品は二十四字あるをもって折伏の行相であるとして、末代弘経の方軌とされた(『開目抄』定六〇六頁)。
また不軽の像法と聖人の末法について、それぞれ以下のように対比させる。すなわち、像法は初随喜の人であり、末法は名字即の人、像法は二十四字を説き、末法は妙法の五字を唱える、像法には悪口罵詈・杖木瓦石の難あり、末法には大難四ヵ度・小難無数ある、としたうえでそれらを同一視する。したがって、「紹継不軽跡」と考え、不軽菩薩的因行は寿量仏果を獲得すると結論される(『教行証御書』定一四八〇頁)のであるが、二十四字と妙法五字とについて『顕仏未来記』には「彼二十四字と此五字とは、其語殊なりと雖も其の意之同じ」(定七四〇頁)とあるように、ことばは異なるがその底意は共に寿量品の肝心をもって、聞法下種の冥益を蒙らしめる意味において同趣であるとされる。
《『遺文辞典』教学篇「我深敬等二十四字(がじんきょうとうのにじゅうよじ)」の項》