一尊四士
一尊四士
いっそんしし
本門の教主釈尊の左右の脇士に本化地涌の四大菩薩(上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩)を配する本尊。
『観心本尊抄』には「正像二千年の間は、小乗の釈尊は迦葉・阿難等を脇士と為し、権大乗並びに涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為す。
此等の仏を正像に造り画けども未だ寿量の仏いまさず。
末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべか」(定七一三頁)と述べ、正像二千年の小乗・権大乗・迹門の釈尊がおのおの迦葉・阿難・文殊・普賢等を脇士とすることを明かし、今末法に始めて出現すべき本門の釈尊にも相応の脇士があることを暗示されている。
『観心本尊妙』ではこの文を受けて問いを発し、「本門寿量品の本尊並に四大菩薩をば三国の王臣倶に未だこれを崇重せざるの由これを申す」(定七一三頁)と述べ、さらに妙法五字と末法の依師を論述した後に、「此時地涌千界出現して本門の釈尊の脇士となり、一閻浮提第一の本尊、この国を立つべし」(定七二〇頁)と、釈尊の脇士に本化の四菩薩を配する一尊四士を一閻浮提第一の本尊と明記されている。
一尊四士は、本門の教主釈尊の因行果徳としての妙法五字を、本化地涌の大菩薩を媒介として末代幼稚の我等に授与される御姿を形像化したものである。
授与される釈尊の因果を我等の信仰的主体性において受領するのが五字の受持(唱題)であり、その信的渇仰の対象として奠定されるのが本門の本尊である。
本尊の形態については諸遺文に諸種の説示がみられるが、日蓮聖人の教義の上からは同体異相であって、その本質に異なりはない。
本尊と我等の感応道交において論ずるならば、一尊四士本尊は我等の信仰の対象として拝する教の本尊であり、これに対し、受持者の己心に具する本尊は観の本尊であるといえよう。
一尊四士本尊を強調する遺文は弘安二年(一二七九)の『四菩薩造立鈔』である。
富木氏の質問に答えて一尊四士の造立を教示されたものであるが、本書の成立を疑問とする説もある。
しかし常修院日常(一二一六-九九)の『常修院本尊聖教事』に「釈迦立像並四菩薩」(定二七二九頁)、浄行院日祐(一二九八-一三七四)の『本尊聖教録』に「釈迦仏立像並四菩薩」(定二七三三・二七三四頁)の記載が見られる。
また、白蓮阿闍梨日興(一二四六-一三三三)の『与波木井実長書』(『宗全』第二巻一六九頁)『原殿御返事』(『宗全』第二巻一七二頁)に一尊四士の教示がみられるほか、日弁(一二三九-一三三一)の『訴状』(『宗全』第一巻九〇頁)、日印(一二六四-一三二八)の『奉造供養本尊日記』(『宗全』第一巻三一八頁)などに一尊四士造立の記録が見られ、日蓮聖人滅後まもない頃、かなり一尊四士が造立されたようである。
《望月歓厚著『日蓮教学の研究』、立正大学日蓮教学研究所編『日蓮宗読本』、『遺文辞典』教学篇「本尊」の項、『日蓮辞典』「一尊四士」の項》