常修院本尊聖教事
常修院本尊聖教事
じょうしゅういんほんぞんしょうぎょうのこと
日蓮聖人の大檀越で聖人滅後、僧となった富木日常(一二一六-九九)が、入滅に先立つ一四日前の永仁七年(一二九九)三月六日、自ら蒐集した日蓮聖人の真筆遺文を中心に写本遺文、本尊、経典、論疏、各宗典籍その他を記録した蔵書目録。常師目録ともいう。正本中山法華経寺蔵。『昭和定本日蓮聖人遺文』三巻、『宗全』一巻所収。「常修院」は日常の院号。本尊のほかに、経典・論疏・各宗典籍が遺文と共に、聖人の教義・信仰を維持・研鑽するものとして「聖教」の名称のもとに内容づけられている。
康永三年(一三四四)二月八日作成の中山第三世日祐の『本尊聖教録』と共に、日蓮聖人滅後の鎌倉末期から南北朝時代にかけて、日常を中心とする下総中山方面における日蓮聖人遺文の蒐集と格護を示す貴重な目録。
文永八年(一二七一)一一月二三日付の『富木殿御返事』には「貴辺に申し付けし一切経の要文、智論の要文、五帖一処に取集めらるべく候。其外論釈の要文散在あるべからず候」(定五一七頁)とあり、日蓮聖人在世の頃から部分的に遺文の蒐集が行われて、弟子・檀越の間には、それぞれ聖人からいただいた書状や、重要な遺文を転写してこれを秘蔵する風潮があった。滅後に至っては、聖人に対する思慕の念と法統愛護の念、そして門流の正統意識の念から、一層それが促進された。日常も自身にいただいた書状・著述のほかに、他の写本遺文が相当数あり、努めて聖人の遺文を蒐集しようとしたことがこの目録から分かる。
目録の内容は、初めに妙法蓮華経曼荼羅一鋪以下、聖人御袈裟一帖が記載されるが、これは表題にいう本尊を指すもの。
次いで金泥法華経一部以下一三部の諸経、六〇巻箱三合の標目の下に天台三大部六〇巻、『同釣名目』一帖、更に章疏箱として、『貞元録』・『授決集』等、天台を中心とした章疏一四部が記載される。以上は日常が蒐集した経典と章疏である。
次に御自筆皮籠として『観心本尊抄』・『法華取要抄』・『九字秘釈』等の著書及び自筆写本が七部、巻物分として一三通の抄録類、御消息分として五四通の消息類が記載されている。以上の御自筆皮籠・巻物分・御消息分に列記された七四点は全て聖人自筆の著述・消息・抄録、写本類で、著述・消息のうち「上御勘文由事」(安国論御勘由来)を除き、すべて聖人から日常に宛てられたものである。
更に、御書箱として『立正安国論』以下、著述・消息の一二点、要文箱として法華二八品科文以下二〇点の抄録類が記載されているが、これらはいずれも聖人の自筆ではなく写本であり、日常が蒐集したものと考えられる。
本目録に記載された諸書は、中山門流の指導者日常の宗教的権威の源泉となり、聖人から日常への相承関係を示す重要な根拠となった。従って法華寺に収める本尊聖教の格護を中山門流における最重要事として強調、永仁七年(一二九九)三月四日、法華寺の置文を制定、聖教の管理を厳命し、これを第二世日高に譲った。
なお本目録には「尼公讃嘆御状」(富木尼御前御書)のごとくあり、日常の夫人を日常自身が「尼公」と記すのはおかしいとの理由から、本目録を日常作とするに疑義が出された。
しかし目録の正本を調査した宮崎英修は、目録の本文は他筆であるが、日付・署名・花押は明らかに日常の筆であることを確認した。
これは目録の本文は右筆が記載し、それを認めた日常が自署花押を施したことを示すものである。従って『富木尼御前御書』が「尼公讃嘆御状」と記載されているのは、かかる理由によるものであり、これをもって日常作を否定することはできないであろう。
《鈴木一成『日蓮聖人遺文の文献学的研究』、立正大学日蓮教学研究所『日蓮教団全史』上、『図説日蓮聖人と法華の至宝』三巻「典籍・古文書」、『遺文辞典』歴史篇「常修院本尊聖教事」の項、『日蓮辞典』「常修院本尊聖教事」の項》