花押
花押
かおう
書判(かきはん)・判とも称し、その起原は中国唐代にあるともいう。
自署の変化したもの。
初めは自己の書いた文書であることの責任の表示を楷書で自署したが、次第に草書体で書いた草名(そうみよう)となり、更に略されて模様化したもの。
なお文書の偽作を防ぐため、自署を草書するに及んだものともいわれる。
平安中期ごろから草名が花押となった草名体、平安末期ごろから名の二字の偏傍を組み合せて作った二合体、室町時代になると自分の名に関係のあるなしを問わずにある一字を選定した一字体、戦国時代から流行するのが文字とは関係ない線画や物の形をとった別用体、江戸時代になって最も流行した明朝体などの花押がある。
日蓮聖人の花押は別用体に属し、古来から宗門の伝承によれば、聖人の花押はすべて梵字のभ्रूं(ボロン)を模様化されたものであるとしていた。
しかし山川智応は『日蓮聖人研究』第二巻所収「日蓮聖人の花押に就いての研究」を著し、弘安元年(一二七八)四月一一日の「檀越某御返事」から同年六月二六日の「治病抄」(二病抄・中務左衛門尉殿御返事への山川の呼称)との間に花押の形がवं(バン)字よりभ्रूं字への移動があることを考証し、これをもって遺文の著作年代推定の一つの基準とすべきことを主張した。
また鈴木一成は山川の研究を継承して深めたが、花押変化の時期を決する遺文については「檀越某御返事」ではなく五月二二日の「霖雨御書」と六月二五日の「日女御前御返事」の間とする。しかし鈴木の「霖雨御書」推定系年は不動ではなく異説建治三年が有力に存しもするので検討を要する。鈴木はまた花押を分類して、バン字に二種・ボロン字の種字体に三種の類型があることを発見し、花押変化の五期を区分するに及んだ。
これら両者の研究は日蓮聖人真蹟研究の上に極めて重要な意義をもち、今日、日蓮聖人遺文の系年推定の際の基礎ともなっている。
《伊木壽一『古文書学』、佐藤進一『新版古文書学入門』、『古文書用語辞典』柏書房、山川智応『日蓮聖人研究』二巻、鈴木一成『日蓮聖人遺文の文献学的研究』、『国史大辞典』三巻「花押」の項》
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