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三大秘法抄(四〇三)

さんだいひほうしょう #144

三大秘法抄(四〇三)

さんだいひほうしょう

一篇。 日蓮聖人著。
具さには「三大秘法稟承事(さんだいひほうぼんじようじ)」といい、その内容から「三大秘法抄」「三秘抄」とも呼ばれる。
聖人六〇歳の弘安四年(一二八一)四月八日、身延山において撰述し、下総中山の大田乗明に与えた書状。
ただし弘安五年(一二八二)の年を記す写本(大石寺日本)もある。
本抄は消息ではなく一篇の著述として見るべきものである。
聖人の真筆は伝わらない。 本抄の古写本としては、久遠成院日親(一四〇七-八八)が嘉吉二年(一四四二)に書写して、弟子の式部阿闍梨日慶に授与したものが知られている(京都本法寺蔵)。 しかし近、慶林房日隆(一三八五-一四六四)が応永一五-六年(一四〇八-〇九)頃に書写したもの(尼崎本興寺蔵)と大石寺日(-一四〇六)の書写したものとが見出され、本抄の存在をさらに三〇年ほど遡らせることになった。 また行学院日朝(一四二二-一五〇〇)の書写本が身延久遠寺に存する。
本抄は日隆がその書写本に「此御抄大ニ不審也」と注記しているように、真筆の伝わらないことと本門戒壇を王仏冥合の国立戒壇として具体的に規定していることから、古来より門流により、また門流を越えて諸先師ので真偽が論ぜられてきた。 本抄を聖人の真撰とする人々は、三位日順・久遠日親・本成日実・行学日朝・円明日澄・一音日暁・禅智日好・一妙日導・優陀那日輝・山川智応などであり、偽作とする人々は、日昭門流を始め合掌日受・永昌日鑑・桓叡日智・田辺善知・清水龍山・塩田義遜・戸頃重基などであり、また慶林日隆・小川泰堂は真偽未決と評している。
本抄述作の趣旨については、聖人自ら「予年来、己心に秘すと雖も、此の法門を書き付けて留め置かずんば、門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加ふべし。 其の後は何と悔ゆとも叶ふまじきと存する、貴辺に対し書き送り候。 一見の後秘して他見有るべからず。 口外も詮なし」(定一八六六頁)と述べられている。 聖人滅後の未来のために三大秘法の法門を説き顕し、門下に付嘱するというのである。 三大秘法とは聖人が末法の修行の目標として顕した三つの重要な法門で、本門の本尊・本門の題目・本門の戒壇をいい、聖人義の根本をなすものである。
聖人立教開宗以来、法華経の行者として仏の未来記実現のため死身弘法の弘教活動に専心せられてきたが、文永九年(一二七二)『開目抄』を著して上行応現の自覚を公表すると共に、寿量品の久遠実成の釈尊と文底の一念三千を顕して本尊の実体と題目の原理を示され、翌一〇年『観心本尊抄』を著して題目の実義と本尊の形貌を示されたのである。 次いで翌一一年の『法華行者値難事』(定七九八頁)に初めて戒壇の名が示され、『法華取要抄』には「本門の三つの法門」として「本門の本尊と戒壇と題目の五字」(定八一五頁)と述べられており、『報恩抄』(定一二四八頁)にも三秘が列挙されているが、いずれも戒壇についてはその名を掲げるのみで、内容についてはなんらの説明もされてない。 本抄に来って初めて戒壇の形態が具体的に説示されたのである。
本抄の内容は、冒頭に神力品結要付嘱の四句の要法を掲げて三大秘法付嘱の依文とし、その要法とは寿量品に顕された本尊と戒壇と題目の三秘であり、これは上行等の本化の菩薩に付嘱され、しかもこの三秘の流通は末法に限られることを論証されている。 次に正しく三秘法体が説き明かされるのである。
まず本門本尊について、寿量品の「如来秘密神通之力」の文を引いて「五百塵点の当初以来、此土有縁深厚、本有無作三身の教主釈尊是也」と、その法体は本仏釈尊なることを顕し、次に本門の題目について、題目に正・像時代の理行の題目と末法の事行との異なりがあり「末法に入て今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異り、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経也。 名体宗用の五重玄の五字也」と明かされている。 そして本門の戒壇について、比叡山の迹門の理の戒壇と対比して末法の未来に建立される本門の事の戒壇が詳説されている。 ち「戒壇とは、王法仏法に冥し、仏法王法に合し、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて、有徳王覚徳比丘の其乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並に御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者歟。 を待つべきのみ。 法と申は是也」とあるのがそれである。
そして、この三大秘法は「二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥に教主大覚世尊より口決相承せしなり」と、聖人自身上行菩薩として霊鷲山において教主釈尊よりこれを稟承し、末法の今日に盛んにこの法門を広宣流布していることが述べられている。 右の文に聖人自身が上行菩薩であることを明言されているが、これはその鮮明さにおいて全遺文を通じて随一の文である。
終りにこの三大秘法の法門を門下に相承することを述べ、未来の流通を付嘱し委されている。
本抄における三秘の法体を説き顕す中の、本門の戒壇の説示は、古来より本門事戒壇建立の文拠とされ、また戒壇建立は王法と仏法の冥合によるとすることから、いわゆる「王仏冥合論」の論拠とされている。 これは『撰抄』『報恩抄』『諸人御返』等に示されている閻浮同帰の要望と想の展開ともいえよう。
しかし聖人が理想とされた戒壇建立が「勅宣・御教書を申し下して」と、権力者への申請とその許可に基づくところの、いわゆる「国立戒壇」であることは、聖人の「立正安国」「正法治国」という仏法至上主義と王法超克の念と明らかに矛盾するものである。 従って、この点から本抄を聖人の真撰とすることについての疑義が古来より表明されてきたのである。 更に抄末の「一見の後秘して他見あるべからず、口外も詮なし。 (略)秘すべし秘すべし」との文に見られるような、口決相承、口伝的傾向の著しい点と併せて、なお本抄の成立については深く考慮し検討されるべきである。
《梅本正雄編『三大秘法抄資料』、『遺文辞典』歴史篇「三大秘法禀承(さんだいひほうほんじょうじ)」の項》(小松邦彰)

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