有徳王
有徳王
うとくおう
有徳国王ともいう。
釈尊の過去世における因位の姿。
過去無量劫の昔、正法を弘通する覚徳比丘(かくとくびく)を外護し、破戒の悪比丘らと戦って全身に傷を被り、殉教した国王。
『涅槃経(南本)』巻三金剛身品五(『正蔵』一二巻六二四頁)に説かれている。
経文を略述すると、「その昔拘尸那城(くしなじよう)に歓喜増益如来と号す仏が出世した。
その如来が滅したのち無量億年も正法が続いたが、あと四〇年で正法が滅びようとする末世に、覚徳という一人の持戒の比丘がいた。
覚徳は正法を持し、法を弘めたが、多数の破戒の比丘は彼の説を聞いて悪心を生じ、ついに刀杖(とうじよう)(武器)を手にしてこの法師を責め殺そうとした。
その時、この国の王は有徳といったが、事の次第を聞き終ると、護法のために説法者覚徳の所に急行し、覚徳をかばって諸の悪比丘と戦闘し、ために覚徳は厄害をまぬがれたが、有徳王は、身に刀剣鉾槊(むさく)の瘡(きず)を被り、体に完き処は芥子(けし)の如きばかりも無し、という状態で地に倒れた。
覚徳はその王に向って、よくなされた王よ。
あなたこそ真実の正法護持の方だ。
未来の世には必ず無量の力をそなえた説法者となるでありましょう、と法を説いた。
有徳王は法を聞くことを得おわって、心大いに歓喜してついに命を終えた。
しかし護法の功徳によって阿閦仏(あしゆくぶつ)の国に再生して、しかも仏の第一の弟子となった。
また王の臣下や人民、共に戦った者、歓喜したものもすべて命終して阿閦仏の国に生れた。
覚徳比丘も寿命終るや阿閦仏の国に往生して、仏の第二の弟子となった」、こう仏は説き終って、対告の迦葉菩薩に、「若し正法尽きんと欲すること有らん時、当に是の如く受持し擁護すべし。
迦葉、その時の王(有徳)とは、則ち我が身是なり。
説法の比丘(覚徳)は迦葉是なり」と告げられた。
以上が金剛身品の内容だが、経文にはこれに続いて、有名な正法護持のための刀杖執持論を記している。
有徳王の本生譚はこの護法のために刀杖を持して戦うことを積極的に勧めるために語られたもので、「刀杖を持つと雖も、我は是等を説きて、名けて持戒といわん」という刀杖執持即持戒まで述べるところは、不殺生戒を第一とする仏教思想のなかで特異なものであろう。
のちに『涅槃経』を『法華経』の追説追泯(落ち穂ひろいのようなもの)とみた法華思想の中でこの部分は重要な問題となってくる。
天台智顗は『摩訶止観』第一〇に『涅槃経』のこの文を、弘教の方軌である摂受・折伏二門のうち、折伏の論拠としている。
末法折伏正意をとった日蓮聖人がこの文に注目しないはずがない。
聖人はその遺文の随処にこの有徳王と覚徳比丘の物語を引いて逆化折伏・謗法対治の文証とした。
その引用された遺文の背景状況を考えると、この釈尊の本生譚が聖人の宗教の根幹にふれるような大きな意味をもっていることを知らされる。
聖人は自己の苦難の宗教活動の中で有徳・覚徳の故事を常に涙を流すほどの感動をもって思い描いていたことは確かで、聖人の遺文は筆致からみると、正法のために法師を護って殉死した有徳王を最高の理想的人物と仰いでいたようである。
まず聖人の宗教活動の第一歩となった『立正安国論』に、謗法者を対治すべき経証として『涅槃経』のこの有徳王の部分全体が引かれている(定二二二頁)。
これは門下に有徳王の如く身命を捨てて謗法者と戦えと厳命したともとれ、日蓮宗の歴史に信徒が武器を持って正法の為に戦ってきた事実もこの文証を拠りどころとしてきたのであろう。
『聖愚問答抄』(定三八四頁)には与同罪(よどうざい)の思想から折伏の文証としての有徳の故事が語られている。
聖人の折伏行の中に与同罪の責を免れんとの意識があったことも重要であろう。
法開顕の『観心本尊抄』の流通分で「此の四菩薩、折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」(定七一九頁)と有名な記述があるが、この文の底にも有徳王・覚徳比丘の故事が聖人の心象に映ぜられていることが窺われる。
更に問題となるのは『三大秘法抄』の戒壇建立のところで有徳・覚徳の世界が重要な契機となっていることである。
もちろん『三大秘法抄』を聖人の真撰とするには疑義があるが、今日なお日蓮聖人の宗教の中心的課題として議論がたたかわされている事実は黙視することができない。
「戒壇とは、王法、仏法に冥し、仏法、王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて、有徳王覚徳比丘の其のむかしを、末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて、戒壇を建立すべきものか。
時を待つべきのみ。
事の戒法と申すは是也」(定一八六四頁)。
いわゆる王仏冥合論、国立戒壇論の論拠とされるところである。
その是非はともかくとして、聖人の弘教活動の中に、「有徳王覚徳比丘の其のむかしを末法濁悪の未来に移さん時」という願行があったことは否定できないのではないだろうか。
《『宗全』一五巻、『日蓮聖人遺文全集講義』四巻、戸頃重基『日蓮の思想と鎌倉仏教』、『遺文辞典』歴史篇「有徳王」の項、『日蓮辞典』「有徳王」の項》