妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

不空

ふくう #295

不空

ふくう

(七〇五-七七四)
不空三蔵とも称し、中国に密教を伝えた。
度師子国(スリランカ)の人(北天竺婆羅門の出身など諸説ある)。
幼くして出家し、一四歳の折、闍婆国(ジャワ島)において金剛智に悉曇章(しったんしょう)=梵字・梵語を学んだ。 唐開元八年(七二〇)、一六歳にして洛陽に赴いたという。 また別の所伝では、幼くして父を喪い、金剛智に師したという。 開元一二年、洛陽の広福寺で具足戒を受け、瑜伽宗(ゆがしゅう)を学んだ。 同二九年、師の寂に遇い、遺命を受けて広州に至り、法性寺に道場を開いた。 その後師子に赴き、普賢阿闍梨(龍智阿闍梨との説もある)に従って十八会金剛頂瑜伽・五部灌頂(かんじょう)・真言秘典等を受け、長安に戻り浄影寺に住した。 祈雨の霊験により、智蔵の号を受け紫袈裟等を賜う。 その他、中各地において厄払い等の修法や灌頂の儀礼、安泰の修法を行った。 大暦九年(七七四)四月、病の身となり六月一五日に入寂した。
密教付法第六祖とされ、善無畏金剛智と共に開元の三大士、あるいは三三蔵と称される。 翻訳者としても、羅什・真諦・玄奘と共に四大翻訳として並び称され、その功績は多大なものがあった。 翻訳はその数、七七部一〇一巻とも八三部一二〇巻ともいう(一一〇部一四三巻・一五〇巻等の諸説もある)。 弟子に含光・慧超・恵果・慧朗・元皎・覚超等がおり、なかでも恵果をその後継とする。 日本の弘法大師空海は、この恵果について密教を伝授された。
日蓮聖人は「不空三蔵金剛智と月支より御ともせり」(『報恩抄』定遺一二二九頁)と遺文にその所伝を叙述されている。 特に祈雨による大風を取上げ、善無畏金剛智と共に「三人の属」と称される。
不空による誤訳の最たるものは、『発菩提心論』の「唯真言中即身成仏」として、法華経に即身成仏なしとして法華経を下す偏見であり、また『法華観智儀軌』では、法華曼荼羅を画いたことはよいが嘱累品を経末に置く等の誤訳をおかした。
《『遺文辞典』歴史篇「不空」の項、『岩波仏教辞典』「不空」の項》

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