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金剛智

こんごうち #5025

金剛智

こんごうち

(六七一-七四一)
金剛智三蔵とも称し、中国に密教を伝えた。
天竺の人で、伊舎那靺摩の第三子(南天竺のバラモンの出身ともいう)。
一〇歳にして那爛陀寺に入り出家、寂静智について声明論を受けてより諸国を巡り、法称論・小乗律・般若燈論・百論・十二門論・瑜伽論唯識論・菩薩中辺論等を学び具足を受ける。
三一歳の折、南天竺において、龍樹の弟子龍智に師事し、金剛頂瑜伽経・毘盧遮那総持陀羅尼法門等を学んだという(龍智は、その七〇歳であったと伝える)。 辞して中天竺に帰り、後再び南天竺に赴いて祈雨の霊をあらわした。
その後、中への伝法を志し、唐開元七年(七一九)広州に入り、翌年洛陽に着いた。 長安の資聖寺等において、『七倶胝母准泥大明陀羅尼経』『金剛頂経瑜伽修習毘盧遮那三摩地法』等八部一一巻を翻訳し、開元二九年(七四一)勅を受けて帰を志したが、病に羅り、同年八月一五日、洛陽の広福寺において入寂した(開元二〇年入寂説もある)。
密教付法第五祖、中国密教の初祖とされ、善無畏・不空とともに開元の三大士、あるいは三三蔵とも称せられる。 付法の弟子に不空・一行・慧超・義福・圓照・恵恒・呂向らがあり、なかでも不空をその正嫡とする。
死後、不空の奏請により、大弘教三蔵諡号を受けた(永泰元年=七六五)。
日蓮聖人は「金剛智三蔵は南天竺の大王の太子なり」(『報恩抄』定一二二八頁)、と金剛智の業績を詳細に叙述し、その功徳は「善無畏のごとく」であるが、善無畏同様、国に悪法を弘めるものであるとし、とくに祈雨の霊をとりあげ、雨とともに大風が吹きあれたことなどをもって、真言の無益を論証されている。
《『遺文辞典』歴史篇「金剛智」の項、『岩波仏教辞典』「金剛智」の項》

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