妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

玄奘

げんじょう #4086

玄奘

げんじょう

(六〇〇-六六四)
玄奘三蔵あるいは三蔵法師の名で知られる。
三蔵とは経・律・論から成る仏教聖典の総体を意味する言葉であるが、中国では仏教聖典に精通した学僧を三蔵と称した。
洛陽に近い緱氏(河南省偃師市)に生れる。 父は陳慧、その四男である。
一三歳のとき、長兄に従い洛陽浄土寺で出家した。
長安その他において、主として『摂大乗論』『毘曇』等を学び、令名を著したが、当経論の訳文は一定せず彼此相違があり、また学者の解釈も種々相違していたので、原典についてその本義を知る必要を感じ、特に瑜伽唯識の根本典籍である『瑜伽師地論』の完本を得てそれを究明しようと欲し、師の法常・僧辮の勧めもあってインド遊学を志した。
貞観三年(六二九)、二八歳のときに独力をもって長安を出発し、幾多の困難を経て新彊省の北路・西トルキスタン・アフガニスタンからインドに入り、ナーランダー寺で、賢(シーラバドラŚīlabhadra)に学び、インド各地の跡を訪ね再び新彊省の南路を経て、貞観一九年に一七年ぶりとなる帰を果たした。
そのの旅行記録・地誌は『大唐西域記』(一二巻)として残され、歴史学的資料としてきわめて高く評価されている。
に際しては像・舎利と共に、六五七部(五二〇夾)の経論を持ち帰ったが、彼のために建てられた長安の翻経院等において、一九年間にわたり、多くの弟子たちと共に仏典漢訳の大を行った。
その訳出するところは『大般若経』六〇〇巻、『瑜伽師地論』一〇〇巻、『大毘婆沙論』二〇〇巻、『倶舎論』三○巻、『成唯識論』一〇巻、『摂大乗論釈論』一〇巻、等、合計七五部一三三五巻に及ぶ。
彼の翻訳は原典を忠実正確に訳出したものと評価され、彼以前の旧訳と区別されて、新訳と称される。
また彼がインドよりもたらした唯識学は、彼の高足、窺基慈恩大師・六三二-六八二)を中心とする門下の間で盛んに研究され、法相宗と称された(窺基は法相宗の祖師とされる)。
麟徳元年(六六四)六三歳で没した。
《慧立『大慈恩三蔵法師伝』、道宣『続高僧伝』四巻、智昇『開元釈教録』八巻、小松邦彰・花野充道『法華経と日蓮』(春秋社『シリーズ日蓮』一)、東大寺教学部編『シルクロ―ド往来人物辞典』、『遺文辞典』歴史篇「玄奘」の項、『岩波仏教辞典』「玄奘」の項

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