三論宗
三論宗
さんろんしゅう
三論を所依として成立している宗の意味。
三論とは龍樹(ナーガールジュナNāgārjuna 一五〇-二五〇年頃)著の『中論』および『十二門論』と、龍樹の弟子提婆(アールヤデーヴァĀryadeva)の著の『百論』である。
中国一三宗の一。
日本八宗の一。
南都六宗の一。
論によっているが、『般若経』の「空」の思想を教理の根本とし、その空を中道として説くから、空宗、無相宗、中観宗、無相大乗宗、無得正観宗などとも称する。
三論宗の源流は、インドにおける龍樹―提婆の学系(六世紀以後に中観派を形成するもの)であって、おそらくこの学系に属する青目(ピンガラPiṅgala 四世紀頃?)の訳した『中論』を中心にして龍樹・提婆の学説が鳩摩羅什により中国に伝えられたのである。
この宗の信仰的な伝承によると、〈釈尊→文殊→馬鳴(アシュヴァゴーシャAśvaghoṣa)→龍樹→提婆→羅睺羅(ラーフラバトラRāhulabhadra)というように相承したという。
中国においては、鳩摩羅什(三四四-四一三)が弘始三年(四〇一)長安に来り、『中論』(四巻)、『百論』(二巻)、『十二門論』(一巻)、『大智度論』(一〇〇巻)、『大品般若経』(三〇巻)等の経論、更に『龍樹菩薩伝』、『提婆菩薩伝』等をも訳出し、ここに初めて龍樹およびその系統の学説が中国にもたらされて、三論宗の基礎が築かれたのである。
羅什の門下には多くの俊才が出たが、三論の講学は、道生・曇済・道朗・僧詮・法朗らの学者により相ついで行われたが、法朗の門から吉蔵(嘉祥大師=五四九-六二三)が出てこれを大成した。
吉蔵以前を古三論・北地の三論と称して、吉蔵の新三論と区別する。
我が国への三論宗伝来は、吉蔵の弟子の高麗僧慧灌が推古天皇三三年(六二五)に来朝して伝え(第一伝)、ついで慧灌の法孫の智蔵が入唐してこれを伝え(第二伝)、智蔵の弟子の道慈も入唐して伝えた(第三伝)。
元興寺・法隆寺・東大寺等で講学されたが法相宗の寓宗となり、ほどなくして衰微した。
《『遺文辞典』歴史篇「三論宗」「三論」の項、『国史大辞典』六巻「三論宗」の項》