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五時八教

ごじはっきょう #443

五時八教

ごじはっきょう

釈尊一代の聖教を分類し、整理する方法としてたてられた教判
従来、天台大師智顗(五三八-五九七)によって創設されたと伝えられているが、近年の学者によって、その成立は、より後世になってからと主張されている。
従来五時八教として、完成された所説は、高麗の諦観法師(九一九-九八七年頃に在世、この年代は義寂のものである。 ち、諦観は義寂のもとに至っている)が著した『天台四教儀』に説かれているもので、天台教学を初めて学習せんとするものは、皆この『天台四教儀』を学んだ。
そこで、この文献に基づいて五時八教を述べると、まず五時というのは、釈尊が成道されてより八〇歳で入滅されるまでの間、種々の説法をされたが、これを竪にを追って五つに分類したものをいう。 第一に釈尊菩提樹下で成道され、三七日の間、法身の菩薩等のために廬舎那身(ろしやなしん)を現して、『華厳経』を説いた。 このときを華厳という。
第二に華厳のえは、その内容が高であり、これを聞いても理解出来ないものが多かったので、三七日の後、一二年間、それら理解出来なかった者達を化するために、誰にでもよく解るようなえを説いた。 諸種の阿含経典が説かれたのはこのときで、これを阿含、またはその説かれた場所から鹿苑ともいう。
第三に、その後八ヵ年の、『維摩経』『思益経』『金光明経』等のいわゆる方等部の経典が説かれた代を方等という。 このときに恥小慕大をなさしめ、小乗の人を大乗の人になさしめんとしたといわれる。
第四に続いて後の二二年のを般若というが、この間には諸種の般若経典が説かれた。 このときにおいては、大・小各別の情執を淘汰せしめるをその目的とした。
第五が法華・涅槃である。 このとき説かれた経典は法華経と『涅槃経』とであるが、前時までに諸種の経典を説くことによって、その教を聴く者達の機根(きこん)を調熟して来たが、その者達の機根が調熟せられ、最高度の法華経を聴くにたえるだけのものになったので、釈尊が悟られたところのその本懐が述べられている法華経が説かれた。 次いで、この法華経を聴くことが出来なかった増上慢の人達のために、更に『涅槃経』が最後の一日一夜に説かれた。 このとき前四えを概説し、すべての人々を悟りに至らしめんとされた。
以上が五の概略であるが、この五とからませて横に八教が説かれる。 この八教とは、化法の四教と化儀の四教とに分かれ、前者は釈尊の教えの内容の分類、後者は釈尊の説法の仕方、ち説法の形式からの分類である。
まず化法の四教とは、蔵教・通教・別教・円教をいう。 前の一つ、ち蔵教のみが小乗教、後の三つは大乗であるとする。 三蔵教とは経・律・論の三蔵をいうが、天台教学においてはこれらをもって小乗とする。
次いで通とは大乗の初門といわれ、大・小乗に通ずる教えとされるが、本来は大乗に分類される。 小乗の人を大乗に通入せしめることにより、大乗の人となさしめるをその目的とする。
第三の別とは、前者迄が声聞縁覚菩薩の人のために説かれているのに対し、ひとり菩薩の人のためにとかれるえであるという。 よって独菩薩えともいわれる。
続いて、第四に円教とは四教のうちにあって、もっとも勝れたえであるとされる。 菩薩を対象として説かれるが、別教の場合とは違い、声聞縁覚の人を含んでいるという。
これら化法の四教は、あくまで説法の内容からの分類であって、従来、薬味の分類といわれている。
化儀の四教とは第一に頓がある。 これは、その字の示す如く、速やかな説法の形式ということであり、第二の漸の漸次的な説法の形式と対照的である。 第三の秘密教とは、が説法をする場合、ある会座にあって、ある特定の人のためにえを説いているのを、同じ会座の他の人のためには解らぬように説法する場合をいい、第四の不定が、ある特定の人のために法を説いているのをあらわに解るように説く場合と対照的である。 また後の二者、ち秘密教と不定とは、共に同聴異聞することにおいては同一であるとする。 ち同じ柄を聴いていても、それを聴いている人々によって、各自その理解が異なることをいい、この前提に立って、秘密教と不定の別が立てられている。
以上が五八教の各々の説明であるが、経典に従って、これを具体的に説明すると次の如くになる。
例えば『華厳経』をこの五時八教の分類によって整理すると、五時にあってはその第一時の華厳時に当り、化法四教にあってはその内容が別教と円教に該当するとされ、また化儀の四教においては頓に当るとされる。 釈尊は、成道されてからまず初めに『華厳経』を説いたが、その内容は別・円教大乗経であり、ただちに多少の権(権とは蔵・通・別をいう。 いまは別数が説かれるので、多少の権という)をまじえた実円教)を説かれたことにおいて、頓であるとされるのである。
さて、この五時八教判に法華経を考えると、その説かれた時は、第五の法華・涅槃時であることは前述の如くであるが、その内容は円教であるとされる。 しかも、その場合の円は純円独妙とされる。 この意味は、少しの権も混じっていない円教という意味であって、例えば『華厳経』の如くに、権教である別教を説くかたわら、説かれる円教とは異なるものだとされる。
さて、更に台第六祖荊渓湛然(七一一-七八二)は、超八醍醐ということを主張する。 ち法華経がそうであるというわけであるが、法華経は既に化法四教・化儀四教の分類には入らないというのであって、八教を超えたところに法華経の醍醐味があるという。 後世においても、この湛然の主張を採用して、法華経を分類しているようであり、法華経は八教の他に位置し、純円独妙とされる。
湛然がこのように主張した意味は、八教の差別は法を聴く衆生の根性が未熟の間のみに、即ち、それらを調熟する過程にのみ必要なのであって、法華経を聴くときには、既にそれら根性は一様に融熟しているのであるから、既にそこに八教の別はない、必要はないのだということである。
の根拠として、従来、法華経の長者窮子、涅槃五味、華厳の三照の譬喩が拳げられているが、そのうち法華経の長者窮子の喩がその中心をなしている。 ち「信解品」に、「ち旁人を遣わし、急に追うて将い還らしむ。 窮子驚愕して怨なりと称し、大いに喚ぶ」とあるは、鈍根の人が華厳の会座にあっても、聾の如く唖の如くにして何等の得益がなかった状態をあらわし、これが華厳であるとし、更に「而も方便を以て、密に二人の形色惟悴して威徳なき者を遣わし、汝彼に詣りて徐に窮子に語れ、汝を雇うことは糞を除かしめんが為なり」とあるのは、方便誘引せんがために、舎那珍御の服を脱いで丈六の幣垢を着、二乗のを説いて最鈍根の人を化せんとする第二の根拠であるとし、次いで「是を過ぎて已後、心相体信して、入出にはばかりなし。 然れどもその所止はなほ本拠に在り」というのは、已に小乗仏果を得て、それによって充足している人に対し、恥小慕大の心を起さしむる第三時の根拠とし、次いで「是の時、長者疾ありて自ら将に死せんこと久しからずと知り、窮子に語りて言わく、我れ今多く金銀珍宝ありて倉庫に盈隘せり、その中の多少を所応に取與せよ」とあるは、一切法は皆大乗経であると開会し、空生・身子の二乗の人達をして大・小各別の執情を淘汰せしめる第四の根拠とし、更に「親族を聚会して、すなわち自ら宣言すらく、此れ実に我が子なり、我れ実にその父なり。 今吾が所有は皆これ子の有なり。 先に出納するところ、これ子の知るところなりと、を付與す。 窮子歓喜して未曽有なることを得たりと」とあるは、般若における法開会によって、既に一切の法門を領知せしをもって、いま法華に至って、ただ仏の知見に開示悟入せしめ、二乗の人に作の記を授けるのみなるをいう第五の根拠であるとしている。
判はかくの如く、法華経を中心にして形成されたように思われるが、その形成過程は未だはっきりとしていない。 佐藤哲英によれば、既に天台大師智顗にこの五時八教判は完備しているとされるが、関口真大によれば、その成立は智顗によってではなく、よほど後世になってからであると主張する。 これは近年における度学学会の一つの大きな課題となっているところである。
また筆者によれば、既にその骨子となっているところのものは智顗教学にあるとみるのが妥当であると思うが、『四教儀』に説かれる如き構成は智顗より後にその成立があるとみるべきと考える。
なお日蓮聖人は『観心本尊抄』に智顗の『玄義』、『文句』の教義を五時八教百界千如解されている(定七〇三頁)。 そして、智顗五時八教判を釈尊一代仏教理解の基本とされ、法華信仰の出発とされた。 聖人の『一代五時図』は聖人自身の仏教観を門下に教導するために認められたものである。
《『遺文辞典』教学篇「五時八教」「三種の教相」の項、『日蓮辞典』『岩波仏教辞典』「五時八教」の項、『天台学辞典』「五時」「五時の大要」「華嚴時」「鹿苑時」「方等時」「般若時」「法華涅槃同味」「八教」「化儀」「化法」「恥小慕大」「五味」「三照」「信解品の譬喩」「長者窮子」「傍追」「付」「二誘」「体信」の項》
(日比宣正)

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