迹面本裏
迹面本裏
しゃくめんほんり
『本尊抄』に「像法の中末に観音・薬王、南岳・天台等と示現し、出現して迹門を以て面と為し、本門を以て裏と為して百界千如一念三千其の義を尽せり」(定七一九頁)とあり、法華経の迹門を主として表面に出し、本門の教えを裏面に秘めて説いていくことである。
即ち迹門の正宗分で説かれている十如実相・百界千如・一念三千の法門、及び二乗作仏の法門を中心として説かれ、本門の正宗分で説かれた最も肝心な久遠実成の法門を、裏に秘めているということであり、天台の立場を指していうのである。
これに対して日蓮聖人は、本門の久遠実成に重きを置き、師弟倶に遠近が明らかにされたことにより、一念三千の法門も二乗作仏も、真に活きた法門として、光を放ったことになるとするのである。
『開目抄』において、この問題を取上げ究明しているが、一切経の中に「本門寿量品がましまさずば、天に日月なく国に大王なく、山河に珠なく、人にたましいなきが如くである」として、本門、特に寿量品を最も重く見つつ、迹門もまた法華一経の前半としての意義を認められているのである。
《『日蓮辞典』「迹面本裏」の項》