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四種三昧

ししゅざんまい #1165

四種三昧

ししゅざんまい

四種の行法を通じて三昧に住するもので、四種大道とも称する。
常坐三昧・常行三昧・半行半坐三昧・非行非坐三昧の四種。
天台大師智顗著『摩訶止観』巻二上(大意章の修大行を述べる所)には「夫れ妙位に登らんと欲せば行に非ざれば階らず、善解鑚揺すれば醍醐も獲つべし。 法華に云はく、又仏子種種の行を修して以て仏道を求むるを見ると。 行法衆多なれども略して其の四を言ふ。 一に常坐、二に常行、三に半行半坐、四に非行非坐なり。 通じて三昧と称するは調直定なり」と述べられている。
常坐三昧は一行三昧とも称し、『文殊説般若経』『文殊問般若経』による。 九〇日を一期とし、結跏正坐して妄想を去り、一切法はちこれ仏法なりと信じ、生死即涅槃煩悩即菩提と観ずる。
常行三昧は般舟三昧とも称し、『般舟三昧経』によって修す。 般舟とは「立」の意で、の威力によって諸が行者の前に立つと観ることである。 九〇日を一期とし、常に阿弥陀仏を念じ名号を唱え、休息することがない。
半行半坐三昧には方等三昧法華三昧がある。
方等三昧は『大方等陀羅尼経』によって修す。 一七日(いちしちにち)を一期とし、長斎し三時に洗浴する。 道場を一二〇匝して郤坐思惟し、実相中道の正を観ずる。 一旋ごとに一を誦し、郤坐思惟をくり返す。
法華三昧は『法華経』、『観普賢経』によって立てられたもので、三七日(さんしちにち)を一期として六時(朝・昼・夕・初夜・中夜・後夜)に五悔(懺悔・勧請・随喜・回向発願)を修す。 行歩して妙経を誦し、坐して妙観を思惟する。 その次第は三業供養・請仏・礼仏・六根懺悔・遶旋・誦経・坐禅・証相等である。 南岳大師(慧思)の有相安楽行・無相安楽行もこれに同じ。 法華三昧の法会を法華懺法とも称する。
非行非坐三昧は随自意三昧(南岳大師)・覚意三昧天台大師)とも称し『大品般若経』、『請観音経』等による。 方法・期の定めはなく、一切において念が起ればち覚し、意が起れば三昧を修す。
四種三昧天台宗観心である。 伝教大師最澄はこれを止観業とし、四三昧院の建立を企てた。 『顕戒論』巻上には「四三昧院は円観を学する者の住する所の院なり。 文殊般若に依りて常坐一行三昧院を建立し、般舟三昧経に依りて常行仏立三昧院を建立し、法華経等に依りて半行半坐三昧院を建立し、大品経等に依りて非行非坐三昧院を建立す」、『勧奨天台宗年分学生式』には「止観業には具さに四種三昧を修習せしめ」とそれぞれ述べられている。
四種三昧の本尊については種々の相伝があり、各々に本尊を定めることもあるが、その中心は阿弥陀仏である。
日蓮聖人は『十章鈔』に「二の巻の四種三昧は多分は念仏と見へて候なり」、「文殊問・方等・請観音等の諸経を引て四種を立つれども、心は必ず法華経なり」と述べて、四種三昧を法華経の開会の上に立てられた法門であるとされる。 更にその本尊について『本尊問答抄』には「摩訶止観四種三昧の本尊は阿弥陀仏とは、彼は常坐・常行・非行非坐の三種の本尊は阿弥陀仏也。 文殊問経般舟三昧経・請観音経等による。 是は爾前の内未顕真実の経也。 半行半坐三昧には二あり。 一には方等経の七仏八菩薩等を本尊とす。 彼経による。 二には法華経の釈迦多宝等を引き奉れども、法華三昧を以て案ずるに法華経を本尊とすべし」と述べられている。 これは本尊についての問答の一節であり、本書に添ったこの文の趣旨は、阿弥陀仏は爾前権経の仏であり、法華経において、位置づけされるものであるから、末代悪世の本尊とはならないというものである。 『一代五継図』(定二四三八頁)には「台の念仏の事」として、四種三昧の本尊を、常坐三昧・常行三昧は「阿弥陀」、半行半坐三昧は「本尊別有」、非行非坐三昧は「観音」と記されている。
四種三昧の内、法華三昧以外は爾前権経によって立てられたものであるから、末法の直接的な行法とはならない。 法華三昧もまた迹門の心に依るゆえに末法の正行とはならない。
《『遺文辞典』教学篇「四種三昧」の項、『日蓮辞典』「四種三昧」の項》

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