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顕戒論

けんかいろん #5241

顕戒論

けんかいろん

伝教大師最澄(七六七-八二二)撰、三巻。
弘仁一〇年(八一九)末脱稿、翌年二月二九日『内証仏法相承血脈譜』一巻と共に、『上顕戒論表』一首を副えて嵯峨皇に上表。
『正蔵』七四巻、『日蔵』天台宗顕教章疏一、『伝全』一巻収。
前二回の上表に対しては何の返答もなかったので、第三回目として大師は弘仁一〇年三月『回小向大式』(四条式とも称さる)を上表。
これは寺と上座と仏戒と仏受戒との四条について大乗と小乗とは戒儀が全く異なり、天台宗は専ら大乗儀に依りたいと乞うた式である。
皇は直ちにこれを玄審寮頭に下し、護命以下六名の僧綱に可否を諮問した。
彼らはこれを奈良諸大寺に告知したため、奈良学僧から囂々たる非難の声が起り、東大寺景深の如きは『迷方示正論』一巻(不現存)を著して二八失を数え挙げたが、これらは却下さる。 そこで僧綱らは別に反論を造って上奏。
皇はこの反論を最澄に送り披見せしめたので、最澄は直ちに『四条式』は自己の憶説でなく、経論に明拠があることを開示して、僧綱らの反論に弾破を加え、彼らをして全く沈黙せしめたのが本書である。
本書は三教史上初めて最澄によって創唱された純大乗設立の根本典籍である。 内容は五篇五八章からなり、開雲顕月篇第一は護命等の『六統表』に対する駁論。
開顕三寺所有篇第二は一三章からなり、四条式の第一条寺の大小別に関する明拠を示す。
開顕文殊上座篇第三は五章よりなり、四条式の第二条仏寺上座に大小別ある明拠を示す。
開顕大乗大僧戒篇第四に一二章があり、四条式の第三条仏戒に大小乗の別がある明拠を示す。
開顕授大乗戒為大僧篇第五に二八章あり、第三一・二の両章は四条式の第四条仏受戒に大小乗の別ある明拠を出し、第三三から七章までは四条式の結語に対する非難を駁し、第三八から四二章までは『請立大乗戒表』に対する非難を駁して大戒論に及び、第四三から五三章までは『請立大乗戒表』『六条式』に対する非難を駁し、第五四から五八章までは四条式の伝戒師に対する非難を駁して大戒の理念に及び、更に式の上奏が僧尼令に違反しない理由を説き、自他平等同入法性の頌をもって結ぶ。
注釈に真流『顕戒論闡幽記』三、可透『顕戒論賛宗鈔』一、『一』諸宗部十六巻等あり。
日蓮聖人は総じては伝教大師の大戒別立運動を「我師天台大師の立て給はざる円頓の戒壇を立べしという不思議さよ(略)されば内証は同じけれども、法の流布は迦葉・阿難よりも馬鳴・龍樹等はすぐれ馬鳴等よりも天台はすぐれ、天台よりも伝教は超させ給たり」(『報恩抄』定一二四七頁)と高く評価し、また本書中の「昔は斉朝の光統を聞き、今は本朝の六統を見る。 実なる哉、法華に何況(滅後)と」(『伝全』一ノ一九六)、「僧統奏して日く、西夏に鬼弁婆羅門有り、東土に巧言の禿頭沙門出づと」(同一九五)、「最澄未だ唐都を見ず」(同三四)等の文例に注目することによって、伝教大師法華経の行者の値難の先例とされた。
《『遺文辞典』歴史篇「顕戒論」の項、『大蔵経全解説大事典』「二三七六・顕戒論」の項、『仏書解説大辞典』「顕戒論」の項》

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