四諦
四諦
したい
四聖諦ともいい、苦諦・集諦・滅諦・道諦のことである。
諦は梵語のsatyaの訳語で、真理の意味。
苦諦は生死輪廻する迷界の果報。
迷界の果報には四苦八苦等が常につき添って、しばらく離れないから苦諦という。
集諦は集とは招集の意味で前記の苦諦である迷界の果報を招いた因と縁であり、煩悩(因)と業(縁)とである。
滅諦は次の道諦の修行により、集諦の煩悩と業とを断除し終り、空の理を悟ったところ、また更に進んで、迷界の果報である苦諦をも断除し、全く真空の理に帰入したところをいう。
このところが有余涅槃・無余涅槃と称せられる滅諦である。
道諦は涅槃、即ち滅諦にいたるための修行実践で、八正道の実践をいう。
集諦は苦諦の因、苦諦は集諦の果、即ち苦・集は迷界の因果関係を説明する。
道諦は滅諦の因、滅諦は道諦の果、即ち滅・道は悟界の因果関係をいう。
日蓮聖人遺文『諸経與法華経難易事』には「声聞の四諦、縁覚の十二因縁、菩薩の六度」(定一七五一頁)とあるように、四諦は声聞の法である。
『涅槃経』聖行品には、四諦が四種に説かれ、天台大師はこれを蔵・通・別・円の四教に配して、いわゆる四種の四諦を説く。
一は「生滅四諦」、苦・集・道の三諦は因と縁とに依って実の生滅があり、滅諦は実の生法に対する実の滅法であるとする四諦。
二は「無生四諦」、滅諦は不生不滅であり、苦・集・道の因果は当体即空であると了解して、生滅を見ないことをいう。
三は「無量四諦」、十法界の果は同じでないから、苦に無量の相があり、第五住地・無明住地の煩悩は不同であるから、集に無量の相があり、恒沙の仏法は不同であるから、道に無量の相があり、諸の波羅蜜は不同であるから、滅に無量の相がある。
これは声聞・縁覚の知ることのできないところであり、大菩薩が修学するところである。
四は「無作四諦」、煩悩即菩提であるから、集を断じて道を修する造作はなく、生死即涅槃であるから、苦を滅して滅を証する造作を必要としない。
このように断・証の造作を離れているから無作というのである。
また、天台は『摩訶止観』で四種の四諦を四土に配し、さらに四諦と十二因縁との惣別開合を論じている。
《『広説仏教語大辞典』『新版仏教学辞典』『岩波仏教辞典』「四諦」、『天台学辞典』「四諦」「集諦」「滅諦」「八正道」「生滅の四諦」「無生の四諦」「無量の四諦」「無作の四諦」の項》