三千塵点劫
三千塵点劫
さんぜんじんでんごう
法華経化城喩品に、大通智勝仏の出世が久遠なることを明かす譬喩。
即ち三千大千世界のあらゆるものを擦って墨となし、この墨を東方に千の国土を過ぎて一点ずつを下してことごとく尽す。
そうしてその過ぎさったあらゆる世界を微塵にくだき、その一塵を一劫(時間の単位をいう)として数えたる総数をいう。
つまり過去大通智勝仏の滅度より今日まで無量無辺不可思議阿僧祇劫の時間を経たことをいう。
この大通智勝仏には一六人の王子があり、その王子は父に従って弟子となった。
一六王子は成仏の教えを請うたので、仏は四諦・十二因縁の法を説かれ、更に王子は大乗の法を説くことを懇請したので、大通智勝仏は法華経を説かれ禅定に入った。
王子たちは仏が禅定に住している時に人々のために、法華経を覆講し、その後、一六の菩薩は十方の国土にて法華経を説き、第一六番目は釈迦牟尼仏であって、この娑婆世界において等正覚を成ぜられた。
爾来、釈迦牟尼仏はこの国土において衆生を教化せられているというのである。
つまり、ここでは釈尊を三千塵点劫の久遠の大通智勝仏の王子と規定し、また霊山会上の人々を始め、この娑婆世界の衆生はみな釈迦牟尼仏の結縁の人たることを明かしている。
ことに大通智勝仏の第一六王子の法華経を聴聞することによって、成仏得脱の種が下され(下種益)、その中間において調熟(熟益)がなされ、その結果今の得脱(脱益)があると説かれ、ここに法華経には化道の始終があると見なして、天台大師智顗は三種教相の一に数える。
また妙楽大師湛然は『法華文句記』第四に、法華経の超勝として十雙を論じ「況んや迹化には三千の墨点を挙げ、本成をば五百の微塵に喩へたり」と、三千塵点劫と寿量品の五百塵点劫とを挙げている。
これを受けられた日蓮聖人は、十双歎を二十の大事の法門として規定され『法華取要抄』では、二〇種の中でも「最要二有り、所謂三五の二法也」(定八一一頁)と述べられている。
また三千塵点劫については『唱法華題目鈔』(定一八五頁)『兄弟鈔』(定九一九頁)等にその説示が見られる。
《『遺文辞典』教学篇「三千塵点劫」の項、『岩波仏教辞典』「塵点劫」の項、『日蓮辞典』『広説仏教語大辞典』「三千塵点劫」の項、『天台学辞典』「久遠の因縁」の項》