結縁
結縁
けちえん
仏法に縁を結ぶこと。
(一)仏を拝し法を聞く、あるいは法事に参加したり、寺院建立に際しては喜捨する等、衆生が仏道を修行するためにまず仏法僧に因縁を結ぶこと。
日蓮聖人が『真間釈迦仏御供養逐状』の中で造立せる仏像を「かえすがえすをがみ結縁しまいらせ候べし」(定四五七頁)と説くはこれに当る。
(二)四衆の一なる結縁衆の略称。
仏の説法を聞いてもその会座(えざ)では成仏することができず、未来成仏の縁のみを結ぶ衆生。
法華経化城喩品で、大通智勝仏の第一六番目の王子である釈迦に法華経を聞いて縁を結んだ衆生を大通結縁の衆生という。
また釈迦在世に仏法に縁を結び未来成仏の縁を結んだ衆生を、在世結縁の衆生という。
結縁の衆生には三類がある。
第一類は発心して直ちに成仏する衆生、第二類は発心はするが途中で退転して他の教えにより仏種を熟してやがて成仏する衆生、第三類は久遠の下種を忘失したため、法華経を聞いても発心もせず成仏もできない衆生である。
大通下種の第三類は、未発心である故に釈迦の在世結縁の会座に連なることになる。
しかし第三類は久遠下種を忘失したためにいまだ成仏はできない。
故に如来滅後五五百歳の末法である日蓮聖人以後の時代は、本未有善といって、性種があっても仏乗種がない、即ちいまだ性種が開発されていない衆生といわねばならない。
ここにおいて順縁・逆縁共に下種せねばならない。
故に日蓮聖人は『曽谷入道殿許御書』で「今は既に末法に入って在世の結縁の者は漸々に衰微して権実の二機皆悉く盡きぬ。
彼の不軽菩薩末法に出現して毒鼓を撃たしむるの時也」(定八九七頁)と述べ、末法の機は全て本(もと)未だ善あらざる人々であるから、不軽菩薩の時と同様、妙法を折伏下種結縁せねばならないと説くのである。
《『遺文辞典』教学篇「結縁」の項、『日蓮辞典』『岩波仏教辞典』「結縁」の項》