四分律
四分律
しぶんりつ
小乗の法蔵部(Dharmagupta曇無徳部)の律で、曇無徳四分律、曇無徳律とも呼ばれる。
漢訳の代表的な広律(ほぼ完全な形態の律)の一つで、全体を四つに分けているのでこの名がある。
第一分は比丘戒(二百五十戒)、第二分は比丘尼戒(三百四十八戒)と受戒犍度(犍度とは篇章の意)および説戒犍度、第三分は自恣犍度から法犍度までの十五犍度、第四分は房舎犍度と雑犍度および集法(結集)・調部・毘尼増一よりなる。
律は経・律・論の三蔵の一つであり、律蔵(vinaya-piṭaka)をいい、僧団(saṃgha僧伽)における個人的・団体的生活規定を記したものである。
小乗には一八部あるいは二〇部の部派があったといわれ、各部派に律蔵が伝えられた。
『四分律』は漢訳の五大広律(大衆部の『摩訶僧祇律』、法蔵部の『四分律』、化地部の『五分律』、説一切有部の『十誦律』、根本説一切有部の『根本説一切有部毘奈耶』)の一つであり、広律にはその他にパーリ律蔵がある。
なおチベット訳は『根本説一切有部律』である。
『四分律』の訳者は罽賓の三蔵法師仏陀耶舎で、竺仏念が共訳者とみられている。
訳出の時期は姚秦の弘始一二年(四一〇)より弘始一四年で、巻数は古くは四〇巻・四五巻等と記されているが、現存のものは六〇巻である。
これは内容の改変ではなく、単なる巻数の変動とみられている。
僧団における個人生活の規定を波羅提木叉(pl:pātimokkha戒本・戒経)といい、比丘戒および比丘尼戒はこれに属する。
これを犯した場合、最も重いものは教団追放(pl:pārājika波羅夷)に処せられる。
僧団における団体生活の規定は犍度(pl:khandhaka)部にある。
奈良期に鑑真によって創立された律宗はこの四分律宗であり、伝教大師最澄はこれを捨てて比叡山に大乗戒壇を建立したのである。
《『正蔵』二二巻五六七頁、『卍蔵』一七・八帙、平川彰『律蔵の研究』、塚本啓祥『初期仏教教団史の研究』、『遺文辞典』教学篇「四分律」の項、『岩波仏教辞典』「四分律」の項》