律宗
律宗
りっしゅう
中国において恵光(光統律師=四六八-五三七)以後に『四分律』に基づいて開かれた宗派をいう。
中で道宣(五九六-六六七)の南山宗、法礪(五六九-六三五)の相部宗、懐素(六二四-七〇七)の東塔宗が代表的存在であるが、南山宗だけが長く命脈を保ち、鑑真(六八八-七六三)が天平勝宝六年(七五四)これを日本に伝えた。
鑑真は東大寺、下野薬師寺、筑紫観世音寺に三の戒壇院を創設して小乗二百五十戒を授け、また唐招提寺に戒律研究の道場を造って以来、律宗が発足した。
日本中の僧尼は皆天下の三戒壇のいずれかで具足戒を受けねば比丘として認められない制度であったから、律宗の意義はとみに高められたが、伝教大師最澄(七六七-八二二)が比叡山に大乗戒壇を別立してのちは次第に衰微した。
鎌倉期に入って俊芿(しゆんじよう)による北京(ほくきよう)律、覚盛・叡尊による南都律の復興をみたが、のちまた漸く衰え、江戸時代に入って真言律宗、天台の安楽律、浄土律などの戒律復興が行われたが、今日、律宗としては唐招提寺を本山とする律宗と、西大寺を本山とする真言律宗とがある。
僭聖増上慢として聖人の指弾を受けた極楽寺の良観房忍性(一二一七-一三〇三)は叡尊の弟子であり、弘長元年(一二六一)鎌倉に入って真言律宗を弘めた。
《『遺文辞典』歴史篇「律宗」の項、『日蓮辞典』『岩波仏教辞典』『国史大辞典』一四巻「律宗」の項》