結集
結集
けつじゅう
『小乗涅槃経』には、ゴータマ・ブッダの滅後の教団の拠り処として「法」を示しているが、これは教団の在り方に対して法を中心とすべきことを示唆している。
『大乗涅槃経』の「法に依って人に依らざれ」という思想の源泉となる。
仏教の歴史には数回の結集(編纂会議)の伝説がある。
結集とは教法の合誦を意味し、比丘の集会において編集された聖典を共に誦することによって、仏説としての承認をうることである。
第一結集(王舎城結集)は、ブッダの入滅の年に、ラージャグリハ(王舎城)に五百の比丘が集会して行われた。
大迦葉が司会者となり、優波離が律を、阿難が法を暗誦した。
この歴史性を疑う学者もあるが、律と法の最初期の断片的内容がこの集会において承認されたものとみなされる。
第二結集(毘舎離城結集)は、ブッダの入滅後一〇〇年に、ヴァイシャーリー(毘舎離城)に七百の比丘が集会して行われた。
その原因となった事件は、ヴァイシャーリーのヴリッジ族出身の比丘が十事を提唱したことに因る。
その集会において十事は非法であると断定された。
この伝説は歴史的事実に基づくと推定されている。
第三結集(華氏城結集)は、ブッダの入滅後二三六年にパータリプトラ(華氏城)に一千の阿羅漢が集会して行われた。
阿育王の仏教僧伽に対する多大の供養のために、六万の外道が賊住として僧伽に入ったため、阿育園は混乱状態に陥った。
王はモッガリプッタ・ティッサを招いてこれを収拾せしめた。
彼は分別説以外の非正統説者を追放し、一千の阿羅漢を集めて『カターヴァットゥ』(論事)を編纂せしめた。
第四結集(カシミール結集)は『阿毘達磨大毘婆沙論』の編纂をいう。
クシャーナ王朝のカニシュカ王(即位、一二八または一四四年)がパールシュヴァ(脇尊者)に命じて五百の阿羅漢をカシミールに集めて『阿毘達磨発智論』に対する注釈書を編纂せしめたことによる。
《『遺文辞典』歴史篇「結集」の項》