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国府入道

こうにゅうどう #1199

国府入道

こうにゅうどう

(生没年未詳)
佐渡の国雑太(さわだ)郡(新潟県佐渡市真野町近郷)の府の近くに住んでいた入道。
この入道夫妻は同じく近くに住んでいた阿仏房夫妻と共に日蓮聖人に帰依した。
建治元年(一二七五)入道の妻が入道を使として身延聖人の安否を尋ね単衣一領を贈ったが、これにたいする『国府尼御前御書』に「しかるに尼ごぜん並に入道殿は彼の国に有る時は人めををそれて夜中に食ををくり、或時は国のせめをもはばからず、身にもかわらんとせし人々なり」(定一〇六三頁)とあるように、入道夫妻は阿仏房夫妻と同様、苦しい耐乏生活を余儀なくされていた佐渡流罪中の聖人に一身をかけて給仕・供養した篤信者であった。 入道はこのと、それから少なくとももう一はるばる身延を訪れている。
弘安元年(一二七六)七月には阿仏房の妻千日尼が父の十三回忌にあたり、夫を身延に登山させ、銭一貫を聖人に供養した。 それにたいする『千日尼御前御返事』に「阿仏房を見つけて、尼ごぜんはいかに、こう入道殿はいかにとまづといて候つれば、いまだやま(病)ず、こう入道殿は同道にて候つるが、わせ(早稲)はすでにちかづきぬ、こ(子)わなし、いかんがせんとてかへられ候つるとかたり候し」(定一五四六頁)とあるように、このときも国府入道は同行したが、途半ばにして引返した。 それは早稲の収穫が近づいてきたが働き手がいないというやむを得ない情があったからである。 これは入道が名主級の農民であったことと、子どもがいなかったことを明らかにしている。
弘安三年に係る『千日尼御返』に「こう入道殿の尼ごぜんの、なげき入って候。 又こいしこいしと申しつたへさせ給へ」(定一七五九頁)とあれば、この頃国府入道か尼御前かの身の上に何か不幸があったものと推察される。
なお佐渡世尊寺には、国府入道世尊寺二世で府房日久といい、嘉禄二年(一二二六)に生れ、嘉暦三年(一三二八)六月六日の寂。
その妻を是日尼、弘安三年六月一日の寂。 また嫡子に持妙居士があった、と伝えている。
《『遺文辞典』歴史篇「国府入道(こうのにゅうどう)」の項、『日蓮辞典』「国府尼」「国府入道」の項、『昭和新修』別巻「国府入道」の項、『日蓮聖人大事典』「日蓮聖人の女信徒」の項》

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