表白
表白
ひょうびゃく
自己の内心にあることを外に表(あらわ)し、これを本仏諸尊等に白(もうし)あげる意。
開白・啓白などもほぼ同じ。
種々の法会などに際し、その趣旨を文章に綴って、導師又は表白師がこれを諷誦する。
その形式は「先づ修善の体を讃し、次に施主の意を嘆じ、聖霊の菩提を成じ、聴衆の願を成就し、法界の衆に回向し、諸天の威光を増す」(『説法明眼論』表白品)とされるが、時代や宗派によって必ずしも同じではない。
表白は舎利弗にはじまるとされ(『大宋僧史略』巻中行香唱導)、古くは唱導と同義とされた。
『梁高僧伝』巻一三の論に「唱導に貴ぶところ」として声・弁・才・博の四事をあげ「声に非ざれば則ち以て衆を警むる無く、弁に非ざれば則ち以て時に適ふ無く、才に非ざれば則ち言に採る可き無く、博に非ざれば則ち語に依拠無し」とある。
これは唱導の師たる人について論じたものであるが、そのまま表白文作成の条件といえる。
わが国では古く弘法大師に表白文の作品が多く(『続遍照発揮性霊集補闕抄』巻八・九)、次いで兼明親王(九一四-九八七)の「村上天皇御筆法華経供養講説日問者表白」(『本朝文粹』巻一三)が早期の作に属する。
身延山開闢第七百年表白
謹み敬って正像未弘大曼荼羅御本尊、別しては末法能弘の大導師本化上行高祖日蓮大菩薩に白して言さく、
伏して以んみれば、吾が祖大聖人、正法を立てて国家を安んぜんと欲し、之を以て執政者を諫暁すること三度びに及びしも、其の迷妄を覚醒せしむる能はず。
三度び諫めて用ひられずんば国を去るの故智に倣ひ、文永十一年五月十七日、露深き草を分けて身延山に隠棲し給ふ。
時に聖寿五十有三。
抑〻延山の境たる、峨々たる深山の梢には一乗の果を結び、湯々たる流水には実相真如の月浮び、吹く風も揺るぐ草木も流るる水の音までも、妙法の五字を唱へずといふことなし。
真に天竺の霊鷲山をこの砌に移して玆に七百年を経たり。
爰を以て、宗門今日、身延山開闢第七百年慶讃大法要を虔修し、恭しく帰命の礼を為し、渇仰の赤心を布ぶ。
伏して祈る、正法興隆世界平和、法界群生平等利益。
維時昭和四十八年五月七日
宗務総長 某 敬白
《『釈氏要覧』巻上、服部如実『増補表白諷誦願文集』》