妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

宝物集

ほうぶつしゅう #1768

宝物集

ほうぶつしゅう

平康頼筆の説話法語集。「ほうもつしゅう」とも。
平清盛のために流にあった康頼が許されて帰洛後(一一八〇頃)京都東山の双林寺で執筆したという(『平家物語』)。
京都嵯峨の釈迦堂に詣でて通夜をした人々が、人間にとっての宝物は何であるかを語り合い、金・宝石・子・命などを経て遂に仏法を最高のものとする考えに至るという構成の書。
一巻本・二巻本・三巻本・六巻本・七巻本・九巻本などの諸本が存し、康頼本の原型や増補の態様などについては不明な点が多い。
非常に興味のあることは日蓮聖人御書中に『宝物集』と話材・章句の一致するものが多く、また、聖人没後の日蓮教団の中で『宝物集』が盛んに書写重用されたという実である。
代の確認できる現存最古の『宝物集』は弘安一〇年(一二八七)に沼津光長寺の開基日春が書写したもの(巻一のみ)であるし、京都本能寺伝蔵本(巻三のみ)も室町初期を下らない古写本である。 また身延山久遠寺本は延徳三年(一四九一)に第一二世貫首日意が書写した『宝物集』全巻の要所抜書本を写したものである。
こうした書写が近世にまで続いていることは寛文五年(一六六五)一〇月に写了した深草元政上人自筆の完本(瑞光寺本)が現存することによっても明らかであるが、史伝・説話類を駆使した日蓮聖人の布教の伝統はこのように『宝物集』とのかかわりの上でも団内に生き続けていたといえる。
ただし、日蓮聖人自身が『宝物集』を直接参看されたか否かは明らかでない。
《小泉弘『古鈔本宝物集・研究篇』、同『宝物集・閑居友・比良山古人霊託』(『新日本古典文学大系』四〇巻)、爪生等勝『身延山本宝物集と研究』、今成元昭「日蓮遺文と宝物集」『中世文学―資料と論考―』、廣田哲通『中世仏教説話の研究』『法華経と中世文芸』、『国史大辞典』一二巻「宝物集」の項》

リンク

図版

kyoushi.nichiren.or.jp_wiki_kotoimg_21025800.jpg

← 事典トップ