最蓮房賜書
最蓮房賜書
さいれんぼうししょ
最蓮房賜書として定本遺文にのせられているもの一三篇ほどある。
『生死一大事血脈抄』『草木成仏口決』『最蓮房御返事』『得受職人功徳法門鈔』『祈祷経送状』『諸法実相抄』『当体義抄』『当体義抄送状』『立正観抄』『立正観抄送状』『祈祷経』『当体蓮華鈔』『十八円満鈔』。最後の『当体蓮華鈔』(定二一二九頁)、『十八円満鈔』(定二一三七頁)の二篇は多少疑惑がかかるかも知れないし、他に追加されるものが、一・二あるかもしれない。
今は大筋だけを述べたい。
しかしどうしても欠くことのできないのは、最蓮房がどういう人であったかで、しっかりと考えておかねばならない。
最蓮房に関する資料としては、日蓮聖人御遺文以外には確実なものはないようである。
今与えられた最蓮房への賜書一三篇を中心として、日蓮聖人のお胸の鏡にどう写ったかをみよう。
(一)生死一大事血脈鈔(しようじいちだいじけちみやくしよう)(九五)=題下に「日蓮記之」とある。
そして最後には「文永九年壬申二月十一日」の下に「桑門日蓮花押」とある。
宛名に「最蓮房上人御返事」の八字、これでみると佐渡の御述作の初めの方に属する。
慎重な記録、いわゆる塚原問答から一ヵ月後、題下に署名し、末尾に桑門とあり、法名と花押と宛名には最蓮房上人とあって、既に弟子分にあたる人に宛てた相当丁重なお筆である。
本文の筆頭には「御状委細披見せしめ候ひ畢んぬ」と、御返事と終りにもあるように「委細」とあるように、相当詳しい書状の御返事である。
ただ弟子分の人に教えるというよりも、丁重な礼儀をもって、まず「夫生死一大事血脈とは、所謂妙法蓮華経是也。
其故は(略)」という書き出しである。
ことばは簡単だが、随分と重い、今吾々わかり易くきくと「生死一大事」とはこのたしかに生きている生命を懸けての最第一の大事件ということ、広くいうとせば人類挙っての一大事、まじめな表現としては、天下を争う覇権というよりももっと重いのではないか。
「血脈」とは文字通り生命懸けだが、この御両人の場合はまさに、いわゆる生命懸け以上の値打を宣言している。
そのことを「いわゆる妙法蓮華経是れなり」。
そしてこれを釈していわく、「其故は釈迦多宝二仏宝塔の中にして、上行菩薩に譲り給いて、此妙法蓮華経の五字、過去遠々劫より已来、寸時も離れざる血脈也。
妙は死、法は生也。
此の生死の二法が十界の当体也。
又此れを当体蓮華とも云也」。
今われわれが唱える妙法蓮華経の五字・七字が、我々の生命をかけてるもの、また釈迦多宝の二仏より、上行菩薩御付嘱の法体であり、それ久遠劫の過去より、生き生きと生きて働いてきているふしぎな生命、生死々々と転々し来って、生死の二法が十界の当体として今現にはたらいている当体である。
「然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解(さと)て、妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふ也」。
我々がゴミ・アクタにも足らぬように思いなして来たこの五体も生命も、全く無上の尊厳者なのである。
仏と同様である。
仏のおさとりの妙法様という。
「此事但日蓮が弟子檀那等の肝要也。
法華経を持つとは是れ也。
所詮臨終只今にありと解て、信心を致して南無妙法蓮華経と唱る人を是の人命終せば千仏の手(みて)を授けて恐怖せしめず、悪趣に堕ちざらしめずと説かれて候。
悦しい哉、一仏二仏に非ず百仏二百仏に非ず千仏まで来迎し手を取り給はん事、歓喜の感涙押へ難し」、「過去に法華経の結縁強盛なる故に、現在に此経を受持す。
未来に仏果を成就せん事疑ひ有るべからず。
過去の生死、現在の生死、未来の生死、三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云ふ也。
謗法不信の者は即断一切世間仏種とて、仏に成るべき種子を断絶するが故に生死一大事の血脈之無き也」、「総じて日蓮が弟子檀那等、自他彼此の心なく水魚の思を成して、異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふ也。
然かも今、日蓮が弘通する処の所詮是也。
若然らば、広宣流布の大願も叶ふべきか。
(略)日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて、仏に成る血脈を継(つ)がしめんとするに、還て日蓮を種種の難に合せ、結句此島まで流罪す。
而るに貴辺日蓮に随順し又難に値ひ給ふ事、心中思ひ遣られて痛しく候ぞ。
金は大火にも焼けず大水にも漂はず朽ちず、鉄は水火共に堪へず。
賢人は金の如く愚人は鉄の如し。
貴辺豈に真金にあらずや。
法華経の金を持つ故か」。
この御文の中に「貴辺、日蓮に随順し、又難に値ひ給ふ」とは、どういうことか、大聖人のもとに出入したために敵の一味とみなされ、いろいろと迫害されたのか。
続いて「過去の宿縁追来て今度日蓮が弟子と成り給ふか。
釈迦多宝こそ御存知候らめ。
在在諸仏土常与師倶生よも虚事(そらごと)候はじ」。
これは事はカンタンだが、生・仏一連の血脈は成仏を決定するものではなかろうか。
「過去の宿縁追来て今度日蓮が弟子と成り給ふか。
釈迦多宝こそ御存知候らめ。
在在諸仏土常与師倶生よも虚事候はじ。
殊に生死一大事の血脈相承の御尋ね先代未聞の事也。
貴貴たうとしたうとし。
此文に委悉也。
能能心得させ給へ」。
この次には、本化の菩薩、上行・無辺行・浄行・安立行等の四大士をあげて「上行菩薩出現すとやせん、出現せずとやせん。
日蓮先づ粗(ほぼ)弘め候なり。
相構(あいかまへ)相構て強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ。
生死一大事の血脈此より外に全く求ることなかれ。
煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)生死即涅槃(ねはん)とは是なり。
信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり。
委細之旨又又申すべく候」。
(編者註)この遺文には初めに「妙は死、法は生」とあれど、『法華題目鈔』の「妙とは蘇生の義」に違う。
次に「伝教大師云、生死二法一心妙用」云々とは『牛頭決』の文であり、『牛頭決』は伝教大師作と伝えられるが、実は中古天台の偽作であることは一読して明了。
これらにより聖人の親作でないと考える人が多い。
(二)草木成仏口決(そうもくじようぶつくけつ)(九七)=三月二〇日、最蓮房御返事とあって、題の問題についての口決である。
前書から派生した草木成仏という問題について答えられた秘義である。
即ち有情の成仏は分りきっているが、非情の草木は成仏ということが云えないだらうか。
天台宗義の奥義から「一色一香の一は二三相対の一には非る也。
中道法性をさして一と云ふ也。
所詮、十界・三千・依正等をそなへずと云ふ事なし。
此色香は草木成仏也。
是れ即ち蓮華の成仏也。
色香と蓮華とは言(ことば)はかはれども草木成仏の事也。
口決に云く、草にも木にも成る仏也云々。
此意は草木にも成り給へるは寿量品の釈尊也。
経に云く、如来秘密神通之力云々」。
我々が成仏を問題にしているとき、その根底には原理的な宇宙観がある。
天台宗義でいう一色一香といい、十界・三千・依正等という基底には不思議な原理がある。
そこから常識的な草木にも成仏の可能性も顕応性もある。
お題目の「妙法蓮華の経」というかぎり、とりも直さず、草にも木にもなり給へるは、それこそ寿量品の釈尊ではないか。
だからこそ経文には如来秘密神通之力とあるではないか。
「一念三千の法門を、ふりすゝぎたてたるは大曼荼羅なり。
当世の習(ならい)そこないの学者、ゆめにもしらざる法門なり。
天台・妙楽・伝教、内にはかんがみさせ給へどもひろめ給はず。
一色一香とのゝしり、惑耳驚心とさゝやき給て、妙法蓮華と云ふべきを円頓止観とかへさせ給き。
されば草木成仏は死人の成仏なり。
此等の法門は知る人すくなきなり。
所詮、妙法蓮華をしらざる故に迷ふところの法門なり。
敢て忘失する事なかれ」。
以上の内で、我々にフシンなのは、大曼荼羅のことである。
伝説では文永一〇年七月八日始顕となっているのに、ここには一年半以上も早く表れている。
これはことば意味だけで実体はお胸中に秘されているのだろうか。
それにしても「一念三千の法門をふりすゝぎたるは大曼荼羅なり」とあるはただ紙木の像が草木とみなすべからざる宣言であろう。
草木成仏とは大聖人のお心の波動にふれるであろう。
たしかに「当世の習いそこないの学者、ゆめにも知らざる法門」に違いない。
それだけに今、最蓮房に語ることのできた法悦に御感激のほどをお察ししなくてはならぬ。
(三)最蓮房御返事(さいれんぼうごへんじ)(一〇二)=日付は文永九年四月一三日、最蓮房御返事とある。
「御札之旨委細承はり候ひ畢ぬ。
都よりの種種の物慥に給候ひ畢ぬ。
鎌倉に候し時こそ常にかゝる物は見候ひつれ。
此島に流罪せられし後は未だ見ず候。
是体(これてい)の物は辺土の小島にてはよによに目出度事に思候」。
このお手紙は、最蓮房の国元(京都)から贈物が届いたので、その中の珍しいものいろいろとり揃え、聖人のもとに届けさせられた。
多分お使者だった。
他にお手紙がくわしく、今その中の節々ひいてお述べになっている。
「御状に云く、去二月の始より御弟子となり、帰伏仕候上は、自今以後は人数(かず)ならず候とも御弟子の一分と思食され候はば、恐悦に相存ずべく候云云」。まことに丁重さをもって応待し「経の文には在在諸仏土 常与師倶生とも、或は若親近法師 速得菩薩道 随順是師学 得見恒沙仏とも云へり。
釈には本従此仏初発道心 亦従此仏住不退地とも、或は云く従此仏菩薩結縁 還於此仏菩薩成就とも云へり。
此経釈を案ずるに過去無量劫より已来師弟の契約有りしか。
我等末法濁世に於て生を南閻浮提大日本国にうけ、忝(かたじけな)くも諸仏出世之本懐たる南無妙法蓮華経を口に唱へ心に信じ身に持ち手に翫ぶ事、是れ偏に過去の宿習なるか」。
単なる師弟ではないというのである。
無量の劫以来のこと、また所は南閻浮提、而も大日本に生を受けた。
この南閻浮提大日本というのは、別に注もないが、生易しいイミではない、京都に生れ育った人とか、叡山に遊学信仰してる人たちにとっては、黙々胸にこたえるものがあろう。
なおまた時は末法濁世である。
法華経の本門、別付属の唱導師様を師とすることができたのである。
最蓮房の歓喜感激どんなであろう。
それよりも一番の喜びは日蓮大聖人その人である。
時と処と師と弟子と大法である。
「諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経」を「口に唱へ・心に信じ・身に持ち・手に翫(もてあそぶ)事、過去の宿習なるか」、それこそ並々ならぬ縁である。
また「然るに今時は師に於て正師・邪師・善師・悪師の不同ある事を知て、邪悪の師を遠離し、正善の師に親近すべきなり」、しかるに今「但だ唯以一大事因縁の妙法蓮華経を説く師を正師・善師とは申すべき也。
然るに日蓮末法の初の五百年に生を日域に受け如来の記文の如く三類の強敵を蒙り種種の災難に相値て身命を惜まずして南無妙法蓮華経と唱へ候は正師か邪師か。
能能(よくよく)御思惟之れ有るべく候。
上に挙ぐる所諸宗の人人は我こそ法華経の意を得て法華経を修行する者よと名乗り候へども、予が如く弘長には伊豆の国に流され、文永には佐渡が島に流され或は竜の口の頸の座等、此外種種の難数を知らず。
経文の如くならば予は正師也善師也。
諸宗の学者は悉く邪師也悪師也と覚食候へ。
此外善悪二師を分別する経論の文等是広く候へども、兼て御存知の上は申すに及ばず候。
只今の御文に自今以後は、日比(ひごろ)の邪師を捨て偏に正師と憑むとの仰せは不審に覚へ候。
我等が本師釈迦如来法華経を説んが為に出世ましませしには、他方の仏菩薩等来臨影響(らいりんようごう)して釈尊の行化を助け給ふ。
されば釈迦・多宝・十方の諸仏等の御使として来て化を日域に示し給ふにもやあるらん。
経に云く、我於余国遣化人、為其集聴法衆、亦遣化随順不逆。
此経文に比丘と申すは貴辺の事也。
其故は聞法信受、随順不逆、眼前也。
争か之を疑ひ奉るべきや」などと励まされている。
殊に「何となくとも貴辺に去る二月の比より大事の法門を教へ奉りぬ。
結句は卯月八日夜半寅の時に妙法の本円戒を以て受職灌頂せしめ奉る者也。
此受職を得るの人争か現在なりとも妙覚の仏を成ぜざらん。
若今生妙覚ならば、後生あに等覚等の因分ならんや。
実に無始曠劫の契約、常与師倶生の理(ことわり)ならば、日蓮今度成仏せんに貴辺あに相離れて悪趣に堕べきや」、「是如く思ひつづけ候へば、我等は流人なれども身心共にうれしく候也。
大事の法門をば昼夜に沙汰し、成仏の理(ことわり)をば時時刻刻にあぢはう。
是如く過ぎ行き候へば、年月を送れども久からず、過る時刻も程あらず。
例せば釈迦多宝の二仏塔中に並座して、法華の妙理をうなづき合ひ給ひし時、五十小劫 仏神力故 令諸大衆 謂如半日と云ひしが如く也。
劫初(こうしよ)より以来、父母・主君等の御勘気を蒙り、遠国の島に流罪せらるるの人、我等が如く悦び身に余りたる者よもあらじ。
されば我等が居住して、一乗を修行せん処は何れの処にても候へ、常寂光の都たるべし。
我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずして天竺(てんじく)の霊山(りようぜん)を見、本有(ほんぬ)の寂光土へ昼夜に往復し給ふ事、うれしとも申す計りなし申す計りなし。
余にうれしく候へば契約一つ申し候はん。
貴辺の御勘気(ごかんき)疾疾とくとく許ゆりさせ給て都へ御上り候はば、日蓮も鎌倉殿はゆるさじとの給ひ候とも諸天等に申して鎌倉に帰り、京都へ音信(おとづれ)申すべく候。
又日蓮先立てゆり(許)候て鎌倉へ帰り候はば、貴辺をも天に申して古京へ帰へし奉るべく候」。
そして端書(はしが)きに、「夕さりは相構へ相構て御入候へ。
得受職人功徳法門とくじゆしよくにんくどくほうもん委くはしく御申し候はん」とある。
「四月一三日の夕刻になったらば、御都合つけて、どうぞ入らして下さい。
特別のお話しくはしく申しましょう。
題は仏さまより真実のお弟子という役職を授けられた功徳の法門についてです」おてがみの本文に帰って、ちょっと引くつもりのところ、切るに切られず、ついつい長くなったが、最蓮房のお弟子入りの御あいさつの文句を引かれた去る二月の始よりという某日にすでに御弟子入りはなされていたらしい。
あらためての御挨拶に対して、また新(あらた)めて経文を引いて、よろこびと覚悟のほどをお述べになっている。
その中に、「わざわざと仏さまから化人(けにん)つかわされる」とあるが、この化人とは、ただの人間ではないのか、どういう素姓なのか、よくわからない。
だから化(ば)けた人かも知れない。
しかし忍術(にんじゆつ)とか幻(げん)術とか手品ではないらしい。
そこから、京都へ赦免してもらうという約束までなさっている。
それが御自分の通力をみせるのでもない、成仏のことわりを説いて、よろこびのあまり、諸天善神に申してのおはからいである。
今生・後生の法門功徳のことは次の御書を拝してみよう。
(四)得受職人功徳法門鈔(とくじゆしよくにんくどくほうもんしよう)(一〇三)=ここには、一般的に此経を信じ、解し、行じ、自行化他に及び浅より深へと自在ふしぎの功徳を得ることが、本経に詳しく示されているが、殊にこの経の特色として、「聖よりは凡、美よりは悪、持戒よりは毀戒、正見より邪見、利根より鈍根、人富道俗にわたって教いよいよ権(ごん)なれば位いよいよ高く、教いよいよ実(じつ)なれば位いよいよ低し」というように論じ来って「然して予下賤なりと雖も、忝くも大乗を学し諸経の王に事(つか)ふる者なり。
釈迦既に妙法の智水を以て日蓮の頂(いただ)きに灌(そゝ)いで面授口決(めんじゆくけつ)せしめ給ふ。
日蓮又日浄に受職せしむ。
受職の後は他の為に之を説き給へ。
経文の如んば如来の使なり。
如来の所遣として如来の事を行する人也」、「問う何が故ぞ妙法の受職を受る人是の如く功徳を得るや。
答う、此妙法蓮華経は本地甚深(ほんじじんじん)の奥蔵(おうぞう)一大事因縁の大白法なり。
化導三説(さんせつ)に勝(すぐ)れ功一期に高く、一切衆生をして現当の悉地(しつち)成就せしむるの法なるが故に此経受職の人は是如く功徳を得るなり。
(略)何に況や我等末法五濁乱漫(らんまん)に生を受け三類の強敵を忍んで南無妙法蓮華経と唱う。
あに如来の使ひにあらずや。
あに霊山(れうぜん)に於て親(まのあた)り仏勅を受たる行者にあらずや」。
終りに「日域沙門 日蓮 花押 文永九年壬申四月十五日の夜半に之を記し畢ぬ」とある。
(五)祈祷経送状(きとうきようそうじよう)(一一五)=この御状は文永一〇年癸酉正月二八日「御札之旨委細承はり候畢んぬ。
兼ては又末法に入て法華経を持ち候者は三類の強敵を蒙り候はん事は面拝之時大概(おほむね)申し候畢ぬ」。
「仏の金言にて候上は不審を致すべからず候か。
然らば日蓮も此法華経を信じ奉り候て後は、或は頭に疵を蒙り、或は打たれ、或は追はれ、或は頸の座に臨み、或は流罪せられ候し程に結句は此島まで遠流せられ候ぬ。
何なる重罪の者も現在計りこそ罪科(ざいくわ)せられ候へ。
日蓮は三世の大難に値ひ候ぬと存し候。
其故は」と以下三世の大難の御感想を述べられる。
我々が三諫・四ヵ度の法難と驚き入っているのに、大聖人のおぼしめしは、現在のそれらの上に、過去・未来等三世の大難をお受けになっている。
「日蓮が法華経の方人(かたうど)を少分仕り候だにも加様の大難に遭(あ)ひ候。
まして釈尊の世世番番の法華経の御方人を思ひ遣りまいらせ候に道理申す許りなくこそ候へ。
されば勧持品の説相は暫時も廃せず。
殊更殊更貴く覚え候」。
ここに釈尊の御事を思いやって感激なさっている。
それもただ、いわゆるセンチの感傷ではなく、冷静な思索と深刻な体験から来ている。
それを「道理申すばかりなくこそ候へ」とある。
そのほんの一例にひかれたのが勧持品の説相である。
今現に日蓮が一身を挺している日夜は「暫時も廃せず」と申上げる所以である。
今、最蓮房殿にそれとなく書いている筆のほとばしりが、畏れ多くも釈尊の御心骨にふれ得た。
ほんとに殊更々々貴く覚え候。
(略)御山籠の御志(こゝろざし)の事について御同情下さり、「凡そ末法折伏の行に背くと雖も」、御病人である上、天下国家の諫めごとは当局者さへも凡愚頑迷なので、日蓮さへも尚籠居の志がある位、そして「御病も平癒して便宜も吉(よく)候はば身命を捨て弘通せしめ給ふべし、一仰せを蒙りて候末法の行者息災延命の祈祷の事、別紙に一巻註し進(まい)らせ候」と、御送達、なお信心心得については「其に付けても法華経の行者は信心に退転なく身に詐親(そしん)なく一切法華経に其身を任せて金言の如く修行せぱ、慥(たしか)に後生は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布之大願をも成就すべき也」、「一御状に十七出家の後は妻子を帯せず肉を食せず等云々」、「振捨正法を弘通す可き之処に地体よりの聖人尤も吉し尤も吉し。
一身に障礙無く国中の謗法をせめて釈尊の化儀を資け奉るべき者也」と励まされる。
(編者註)日像の『祈祷経之事』の中に本書からの抄写あり。
(六)諸法実相鈔(しよほうじつそうしよう)(一二二)=文永一〇年五月一七日。
宗祖は佐渡で多忙を極めておいでになる。
四月二五日には『観心本尊抄』脱稿、七月八日には始顕本尊を図せらる予定、今はその中間、僅かの紙数だが書きをへられて「追申候」とあって「日蓮が相承の法門等前前かき進らせ候ひき」と書き出し、「ことに此文(ふみ)には大事の事どもしるしてまいらせ候ぞ。
不思議なる契約なるか。
六万恒沙の上首上行等の四菩薩の変化か。
さだめてゆへあらん。
総じて日蓮が身に当ての法門わたしまいらせ候ぞ。
日蓮もしや六万恒沙の地涌の菩薩の眷属にもやあるらん。
南無妙法蓮華経と唱へて日本国の男女をみちびかんとおもへばなり。
経に云く、一名上行乃至唱導之師とは説かれ候はぬか。
まことに宿縁のをふところ予が弟子となり給ふ。
此文あひかまへて秘し給へ。
日蓮が己証(こしよう)の法門等かきつけて候ぞ。
とどめ畢ぬ」とある。
始めにかえって諸法実相とは方便品の肝心の文「諸法実相乃至本末究竟等云々。
此経文の意如何。
答て云く下(しも)地獄より上(かみ)仏界までの十界の依正の当体、悉く一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなりと云ふ経文也」。
以下釈の文を引いて「されば法界のすがた妙法蓮華経の五字にかはる事なし。
釈迦多宝の二仏と云ふも、妙法等の五字より用の利益を施し給ふ時、事相に二仏と顕れて宝塔の中にしてうなずき合ひ給ふ。
かくの如き等の法門日蓮を除きては申し出す人一人もあるべからず。
天台妙楽伝教等は心には知り給へども言(ことば)に出し給ふまではなし。
胸の中にしてくらし給へり。
其も道理なり。
付嘱なきが故に、時のいまだいたらざる故に、仏の久遠の弟子にあらざる故に、地涌の菩薩の中の上首唱導、上行無辺行等の菩薩より外は、末法の始の五百年に出現して法体の妙法蓮華経の五字を弘め給ふのみならず、宝塔の中の二仏並座の儀式を作り顕すべき人なし。
是即本門寿量品の事(じ)の一念三千の法門なるが故なり」とある。
『当体義抄』、同送状、『立正観抄』、同送状(これらは別に解説あり)。
また『祈祷経』はもともと秘すべきもの、『当体蓮華鈔』は『当体蓮華』を、『十八円満鈔』は『修禅寺決』を見よ。
《『遺文辞典』歴史篇「生死一大事血脈抄」「草木成仏口決」「最蓮房御返事」「得受職人功徳法門鈔」「祈祷経送状」「諸法実相抄」「当体義抄」「当体義抄送状」「立正観抄」「立正観抄送状」「祈祷経」「当体蓮華鈔」「十八円満鈔」の項》(室住一妙)