修禅寺決
修禅寺決
しゅぜんじけつ
伝教大師最澄(七六七-八二二)撰と伝えられるが、鎌倉初期―中期の中古天台の作。
四帖。
前二帖の内題には「修禅寺相伝私注」、後二帖の内題には「修禅寺相伝日記」、前三帖の尾題には「大教縁起口伝」、第四帖の尾題には「修禅寺邃和尚伝法四箇決此の如し」とあり、これを総称して『修禅寺決』または『修禅決』という。
『日蔵』天台宗顕教章疏第一、『伝全』三巻所収。
第一帖の冒頭に「大唐貞元二四年三月一日、四箇の法門を伝う。
所謂一に一心三観、二に一念三千、三に止観大旨、四に法華深義なり」とあるが、貞元は二一年に改元され、かつ貞元二四年は大同三年に当たり、最澄帰朝後であるから、恐らく延暦二四年の誤り。
最澄は二三年一一月に龍興寺の道邃の許に来り、二四年四月二一日まで天台学を相承している。
さて第一帖には一心三観が記され、それを教行証の三重に分け、中の行門の一心三観を更に本解・別時・常用・臨終の四箇に分け、臨終一心三観では、人の臨終時は断末魔の苦のため心神昏昧して是非を弁えず。
故に一心三観の代りに南無妙法蓮華経と唱えよと勧める。
『昭和定本遺文』の続篇五二の『臨終一心三観』はこの部分の写しである。
第二帖は心境義を記し、一念三千について解説する。
解説はほぼ一心三観の時と同じ。
行分の一念三千ではまず図像の十一面観音の頭上に十界の形像を図した本尊の伝を述べ、次に常用・別時・臨終の三種の一念三千を述べ、臨終の項では唱題を勧める。
証分の一念三千は天真独朗であり、不修の観である。
第三帖は止観大旨。
これを附文と元意とに分かち、附文では『摩訶止観』に順じて止観の大意・釈名・体相・摂法を解説するが、大意の五略の説明が最も詳しい。
元意では教・行・証に分けて止観立行を説く。
教門では廃教立観・開教顕観・天真独朗の三種を明し行門では十界順逆の観と十界形像礼拝行としての唱題を明かす。
証分では『摩訶止観』に由来する事柄はすべて教・行の所摂であり、証分は天真独朗にして不可思議であると示す。
第四帖は法華深義。
『法華玄義』に関する口伝で、依名別釈と大意旨帰に分け、依名別釈をまた妙法五字の各説の五重玄と五字合成の五重玄とに分ける。
五字合成の五重玄は『玄義』に相応するが、各説の五重玄は本書の独創で、五字の各々に五重玄をを立てる。
右四箇中第二の心境義は円仁作と伝えられる『一念三千覆註』と全同であり、日本思想大系『天台本覚論』所収の身延所蔵本・金沢文庫所蔵本には心境義に相当する部分を欠き、第一帖所収の分の心境義だけであり、第四帖の法華深義の部を二帖に分けて計四帖とする。
またこの四箇は恵心流三重七箇の口伝の中の広伝四箇に相当するから、本書は恵心流の筆作である。
略伝三箇については第四帖の妙法五字五重玄の宗の口伝の項下に名目を挙げるに止まるから、恵心流の初期の筆作か。
鎌倉中期から末期にかけての成立かとされる『漢光類聚』・『等海口伝抄』等にも引用される。
聖人遺文では右記の『臨終一心三観』の外に、続篇四〇の『十八円満鈔』があり、蓮字五重玄の中の蓮名の解説部分からの抄写である。
また正篇二五六『日女御前御返事』に「伝教大師入唐して道邃和尚に値奉て、五種頓修の妙行と云事を相伝し給ふなり」(定一三七七頁)とあるのは、妙体五重玄で妙宗を口伝するときの「妙の一字において五種法師の行を伝ふ(略)和尚云く、一字の五種の妙行と」というのと同趣である。
《硲慈弘『日本仏教の開展とその基調』、岩波日本思想大系『天台本覚論』、『遺文辞典』歴史篇「修禅寺相伝日記」の項、『国史大辞典』七巻「修禅寺相伝口決」の項》