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祈祷経

きとうきょう #4293

祈祷経

きとうきょう

詳しくは「末法一乗行者息災延命所願成就祈祷経文」という。
妙法広布の行者の自行のための御経であり、本宗祈祷修法の原典でもある。
日蓮聖人佐渡在島中一谷から文永一一年(一二七三)正月二八日付、最蓮房宛の御書『祈祷経送状』によってこの経の大意を知ることができる。 「(略)一つ仰せを蒙りて候、末法一乗の行者息災延命祈祷、別紙に一巻註し進らせ候。 毎日一返闕如なく読誦せらるべく候。 日蓮も信じ始め候し日より毎日此等の勘文を誦し候て仏天に祈誓し候によりて、種種の大難に遇うと雖も法華経の功力釈尊金言深重なる故に今まで相違無くて候也。 其に付ても法華経の行者は信心に退転なく、身に詐親なく一切法華経に其身を任せて金言の如く修行せば、慥に後生は申すに及ばず、今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布之大願をも成就すべき也。 (略)猶猶向後は此一巻の書を読誦して、に祈誓し御弘通有るべく候。 但此書は弘通之志有らん人に取ての也。 此経の行者なればとて器用に能わざる者には左右なく、之を授与すべからず候歟」(定六八九-九〇頁)とあってこの御経のことは聖人自ら「送状」に撰述の縁由、主旨、制誡等を述べていられるので今更解題の必要はないが、いつの頃から聖人はこの御経を読誦されていたのであろうかという点について言及してみよう。
「送状」の内容から見て、『祈祷経聞書』では「日蓮も信じ始め候し日より」の文から、その製作を宗旨建立以前としている。
また『修験故事便覧』には、「既に種々の大難に遇うと雖もとあれば四個の大難已前に是を撰し玉える歟」とあり、北尾日大によれば「宗祖御開宗の年建長五年(一二五三)八月二六日鎌倉松葉谷の御草庵に入られてより、暫くの間の御生活は経文読誦の外他事無し、というのであるから恐らく此処で御経三部十巻の妙典より御祈祷に関する勘文を御撰出になって、此の一巻を顕わし給うたと考えられる」としている。
確かに「末法の行者云云」という表題とか迹門、本門の勧請のあり方、讃文とか巻末の願文等を勘合しても、既に妙法宣布の大願を発誓された後であることは明らかである。
本経の結構は法華経の一部八巻を迹門段と本門段に分けて、法華経の肝文を抄録し、両段共に勧請、礼拝より始めているが、五の巻までを「迹門経の勘文」とされている。
各巻の終りごとに「法華妙釈尊金言、当生信心、無有虚妄」と聖人の言葉で結ばれている。
迹門勧請には「仰ぎ願くは願主の心中の所願をして、決定円満ならしめ給え」とあり、本門の勧請には「末法の行者息災延命、真俗如意、広宣流布、得已満足せしめ給え」とあって、これが心中の所願であることを明示されている。
迹門序品第一より安楽行品第一四迄の各品の経文を挙げ、本門は如来寿量品第一六より普賢菩薩観発品第二八迄の各品の経文を撰出されている。
但だ迹門本門の境にある「従地涌出品第一五」をもって本門の序となすとあるのみで経文を挙げていないのは「無文有義」であり、讃文の仏寿の久遠と不老不死の徳を末法の行者は信解体得すべきであって、このことを日像は「祈祷経の開眼在之」といっている。
この御経の最末も「法華妙云云」の四句と題目一返で終り、略法華経の句と開経と結経の経句をもって前後を結び、讃文を加えて最後は最初と同一の経題を提げて、同じく日蓮撰で終っている。 まことに首尾完備した撰文である。
なお日像の『祈祷経之事』の中には「広布ヲ祈ル無二之信者、貧窮短命等事」とある一節が本門段の勧請の終りにある。
しかしこの句が日朗門流のみに相承されていて、以後各門流(日像門流を含め)の祈祷経に出て来ない。
この句の表面の意味は「妙法広布にはげむ無二の信者(僧俗)でも貧窮で短命に堕する等の法難もある」ということであるが、この句は次の寿量の大薬師につながり、法難に対する決定無有疑の強信がなければ、妙法広布の大願も現安後善の小願も成就出来ないことを寿久遠に添えて厳誡されているのである。
布教伝道にとって最も重要と思われるこの句を、なぜ先師は削ってしまったのであろうか。
《『日蓮辞典』「祈禱経」の項》

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