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当体蓮華

とうたいれんげ #2062

当体蓮華

とうたいれんげ

妙法蓮華経の蓮華は妙法に対する譬喩ではなく、法の当体の名であると考える説で、天台大師の『法華玄義』七下に詳説される。
云く「蓮華の称は是れ喩を仮るに非ず、乃ち是れ法華の法門なり。法華の法門は清浄にして因果微妙なれば、此の法門を名付て蓮華と為す。即ち是れ法華三昧の当体の名なり」。また「法華論に依らば依報の国土を以って蓮華と為す。復た菩薩は蓮華の行(法華三昧)を修するに由りて報に蓮華の国土を得。当に知るべし、依正因果悉く是れ蓮華の法なり」「法性の蓮華」という。
ち蓮華とは法華三昧の当体の名であり、また法華三昧を修して得たる仏果(正報)土(依報)の当体の名である。
これを宗門に約すれば、如説修行およびそれによって現前する常寂光土・霊山浄土を当体蓮華という。
しかるに院政末期より出現した中古天台者流では、凡夫・生死・煩悩・万有のありのままの当体を押えて絶対肯定し、当体そのままが妙法蓮華経に外ならないと観念することを当体蓮華というに至った。
遺文中にもこの種の用例が幾つかある。
例えば『生死一大事血脈鈔』に「生死一大事血脈とは(略)妙は死、法は生也。此生死の二法が十界の当体也。又此を当体蓮華とも云ふ也」(定五二二頁)とあり、十界の当体=生死の二法=妙法なることを当体蓮華という。
また『当体蓮華鈔』に「当体の蓮華とは一切衆生の胸の内に八分の肉団あり(略)八葉の蓮華に四仏四菩薩坐し給へり。中央の大日如来といふは八葉九尊の仏也。眞実は是を仏性と云ふ。是則妙法也。されば衆生は是法身の宮殿也」(定二一三〇-一頁)とは、衆生即仏を認定するため、当体蓮華をもってし、その蓮華を釈して密教の胎蔵界曼荼羅中院の八葉九尊の住所とし、衆生の胸は九尊の住所であるとするもので、典型的な中古天台流の解釈である。
御義口伝』の冒頭に「法界は妙法也、法界は蓮華也、法界は経也。蓮華とは八葉九尊体也」(二六〇五頁)とあるのも同趣である。
『当体義鈔』にも当体蓮華釈が多いが、唱題する人が即ち当体蓮華であるとするから、当体蓮華の本来の意味を逸脱してはいない。
しかし「能居所居身土色心倶体倶用無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事也」(定七六〇頁)とて、当体蓮華仏なる用語を創造し、それを無作三身と同意味とする辺には、やや中古天台風の臭がなくもない。
《『遺文辞典』教学篇「当体蓮華」の項》

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