色心
色心
しきしん
色法と心法。
色法は変壊・質礙の意、即ち形を有し、生成し変化する物質現象を指す。
狭くは眼根の対象たる色境であるが、広くは眼・耳・鼻・舌・身の五根と色・声・香・味・触の五境と無表(外面に表れない潜在性)とを兼ねる。
心法は意根の対象たる法境、または意根・法境を指し、要するに精神作用である。
万物を分析的に考えるときは色と心とに分けるが、大乗仏教は一般に心を以て色を統括して色心不二を立てる。
唯識宗の万法唯識、華厳宗の唯心法界等はそれで、唯心論である。
天台宗の色心不二は妙楽大師湛然の十不二門の第一の色心不二門が有名である。
『玄義釈籤』七上に「一に色心不二門とは(境妙に従て名を立つ)。
且く十如の境乃至無諦一一に皆な総別の二意あり。
総は一念に在り、別は色心を分つ(略)既に別を知り已れば別を摂して総に入るべし。
一切諸法、心性に非ざること無し。
一性は無性にして三千宛然なり」とある。
万法を一法に摂めることを総といい、万法の自体を失せざることを別という。
「一切諸法、心性に非ざること無し」といえば唯心論であるかに見えるが、次下に「一性は無性にして三千宛然なり」といえば、必ずしも総を心性に限定して考える必要はない。
故に四明知礼は『十不二門指要鈔』で「総在一念、別分色心」を釈して、「総在一念とは、若し諸法の互ひに摂することを論ぜば、一法を挙ぐるに随て皆な総と為すことを得、即ち(心・仏・衆生)三無差別なり。
今は観を成じ易からしめんが為の故に、故に一念の心法を指して総と為す。
然るに此の総別は理事に分対すべからず。
応に知るべし。
理具の三千、事用の三千に各々総別あり」という。
湛然が総てを一念としたのは観法の便宜のために外ならないのであって、実には一色を総てとしても、一香を総てとしても差支えないのであるという。
故にその色心不二門は唯心論上からの立論ではなくて、円融論・互具論上からの立論である。
聖人は色心不二を『木画二像開眼事』に「意は心法、声は色法、心より色をあらはす。
又声を聞て心を知る。
色法が心法を顕す也。
色心不二なるが故に、不二とあらはれて仏の御意あらはれて法華経の文字となれり。
文字変じて又仏の御意となる」(定七九二頁)とて、法華経の一々文々是真仏の証拠として活用される。
『土籠御書』に「色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ」(定五一〇頁)、『阿仏房尼御前御返事』に「誠に色心相応の信者」(定一一〇八頁)といわれるときの色心は、色読法華と心読法華とを指す。
《『遺文辞典』教学篇「色心」の項、『日蓮辞典』「色心」の項》