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草木成仏

そうもくじょうぶつ #4600

草木成仏

そうもくじょうぶつ

無心の草木も有情と同じく発心修行成仏するということを表す術語。
大乗諸宗は皆な草木成仏を立てる。
三論宗吉蔵(五四九-六二三)の『大乗玄論』三、華厳宗法蔵(六四二-七一二)の『華厳経探玄記』一六、日本では真言宗弘法大師(七七四-八三五)の『吽字義』等の如し。
天台宗では天台大師智顗(五三八-五九七)に草木成仏の原理があり、湛然がこれを草木成仏論として発揮した。
智顗仏性を正因(理)・了因(智)・縁因(行)の三種に分ち、この三因仏性は円融相即するから、正因仏性たる真如理が万有に遍満する以上は三因仏性みな万有に具有されると説いたこと(『金光明経玄義』上、『法華玄義』三法妙、『法華文句』不軽品釈等)、一念三千を立てて国土世間にも三千を具すと立てるとき、草木国土にも心あり、因果を具する義が発生すること等がその原である。
六祖湛然(七一一-八二)は智顗のこの説をうけ、更に一色一香無非中道と依正不二とを論拠として、非情有仏性を論じて『金剛鉾論』を著した。
本論の中の「一草一木一礫一塵各一仏性各一因果具足縁了」の語は『本尊抄』(定七〇四頁)にも引かれた有名な言葉である。
また湛然は『摩訶止観』の円頓章中の「一色一香無非中道」の文を解説して『弘決』一で「無情仏性惑耳驚心」と注し、惑を解消するために十義を立てたことは、草木成仏論の原拠として有名である。
十義とは「一に身に約す。仏性と言ふは応さに三身を具すべし。(略)若し三身を具せば、法身は徧を許す。何ぞ無情を隔てんや。二に体に従ふ。三身相即して暫くも離るる時なし。(略)法身若し徧せば尚ほ三身を具す。何ぞ独り法身のみならん。三に事理に約す。事に従ふときは則ち情と無情とを分ち、理に従ふときは則ち情非情の別なし。(略)四に土に約す。迷情に従ふが故に依正を分つ。理智に従ふが故に依(土)即ち是れ正(身)なり。常寂光の如きは法身に即する土なり、身土相称ふ、何ぞ無情を隔てん。五に教証に約す。教道には情非情ありと説くも、証道には不二と説くが故に、二を分つべからず。六に真俗に約す。真の故に体一、俗は有無を分つ。(略)七に摂属に約す。一切万法は心に摂属す。心外に余なし。(略)八に因果。因に従ひ迷に従へば異を執じて隔を成ず。果に従ひ悟に従へば仏性恒に同じ。九に宜しきに随ふ。四句分別(情無情同・異・亦同亦異・非同非異)すること悉檀に随順す。(略)十に教に随ふ、三教(蔵通別)には(非情)無(仏性)と云い、円()には徧く有りと説く」と。
日本台では七祖道邃に相承した伝教大師最澄(七六七-八二二)の『天台宗未決』第四問答、『守護国界章』巻下の弾麁食者謬破一切有情皆悉成仏章第一、『法華秀句』巻中の大唐仏性諍の中に草木成仏が論ぜられて以来、叡山諸師にしてこの論に言及せぬものはないといってよく、この伝統を継いだ日蓮聖人も『総在一念鈔』(定八三頁)、『草木成仏口決』(定五三二頁)、『真言見聞』(定六五五頁)、『木絵二像開眼事』(定七九二頁)、『曽谷入道殿許御書』(定八九七頁)、『四条金吾釈迦仏供養事』(定一一八三頁)、『教行証御書』(定一四八五頁)等でこれを法華の一念三千の独特の法門として誇耀するが、殊に『本尊抄』(七〇三-四頁)では一念三千は、これを構成する法数の一として国土世間を算入する故に、「草木国土の上の十如是の因果の二法」が認められることになり、これにより「木画の像を本尊に侍み奉ること」が可能になると、草木成仏論の効用を説く。
《浅井円道『上古日本本門思想史』、坂本幸男「草木成仏について」(第九回国際宗教学宗教史会議研究報告)、『遺文辞典』教学篇「草木成仏」「草木国土悉皆成仏」の項、『日蓮辞典』「草木成仏」の項、『岩波仏教辞典』「草木成仏」「草木国土悉皆成仏」の項》

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