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聞法

もんぼう #4524

聞法

もんぼう

法華経を聴聞すること。
法華経にはその聞法の功徳を所々に説いているが、特に随喜功徳品には五十展転を示して聞法の功徳の大なることを説いている。
ち人が法華経を聞いて人に説き伝え、それが次第に展転説法して第五十人目に至る時、その聞いたえの内容は、第一番目の人が聞いたものよりはるかに減じているが、それでもそれを聞いて随喜する五十番目の人の功徳は莫大であると説いている。
日蓮聖人は『涅槃経』の毒鼓の譬えを引いて法華経を聴聞し、随喜せずかえって法華経を謗る者も救われるとする。
ち毒を塗った太鼓を打てば、周りに居る人々がその毒に犯されるのと同様に、法華経を聴聞した人々は、かえって法華経を謗ることがあっても法華経の功徳が身に入るからである。
このは法華経即仏種論に基づいている。
末法の衆生は本未有善の機であるから仏種を下されることによって救われるのであり、聞法することは即ち下種されることである。
これを聞法下種という。
そしてこの仏種は、仏性と仏種の相違が、仏性が「一切衆生悉有仏性」というように先天的に有するのに対して、仏種は後的に新たに下されるものである。
三因仏性でいえば了因に当り、下種は必ず聞法によるから、聞法了因の種という。
更に、このように下種は聞法による時は「毒鼓の縁」によって無意識にも下種されるが、信仰上からは信心領納が下種であるから、聞法受持(下種)はち譲与でなければならない。
それを聞法成という。
《『遺文辞典』教学篇「聞法」の項、『日蓮辞典』「聞法下種」の項》

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