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仏身論

ぶっしんろん #537

仏身論

ぶっしんろん

仏身論には一身説・二身説・三身説・四身説・五身説・六身説・十身説などがあるが、その根本は三身説である。
一身説=一-法身-『涅槃経』等。
二身説=生身法身-『仏地論』、寂静法界身・後得因身-『宝性論』、真仏・非真仏-天親『般若論』、法身・解脱身-『解深密経』・『瑜伽論』。
三身説=応仏・報仏・法仏-『法華論』・『楞伽経』、化身・応身・法身-『金光明経』、自性法身・受用身・変化身-『仏地経』・『勝鬘経』、言説法身・智相至得法身・福相至得法身-無着『金剛般若論』。
四身説=化身・応身・亦化亦応・非化非応-『金光明経』及び『仏地論』、応化仏・功徳仏・智慧仏・如々仏-『楞伽経』。
十身説=無着・願・業報・持涅槃仏・法界仏・心仏・三昧仏・性仏・如意仏-『華厳経』及び『仏地論』、平等身・清浄身・無尽身・善修身・法性身・離尋伺身・不思議身・寂静身・虚空身・妙智身(円仁『三身義私記』による)
等で、それらは三身の開合の差にすぎない。 なお、上記の出典は一部をあげたもので、多数ある。
ところが三身説には大きくわけて天親の『法華論』等の法・報・応の三身説と『金光明経』等の法・応・化の三身説とがあり、法・報・応の三身は修因感果の報身智慧を中心として、その所証の理境を法身、境智一如して覚他に転ずる慈悲の用を応身としたものであり、法・応・化の三身は非因非果の法身理に基盤を据え、この理の妙用等流の見地から覚他の働きを分けて、地上の菩薩に対するときを応身(勝応身)、地下の衆生に対するときを化身(劣応身)としたのである。
また、この法・報・応の三身説について、本宗では報身を中心に考えるが、思想史的に見ると必ずしもそうではないことを付言する。 法身理の妙用ということはあり得ないかの感があるが、真如も縁に随って活動することが認められる(例えば真如内薫)から、法身にも活動を附与するのである。 真言宗でいう自性法身・受用法身・変化法身・等流法身の四種法身なども此の系譜に属し、仏の因果よりも法身非因非果の理の等流に重点を置いた徳の分け方である。
これらの仏身論の出発点は、仏陀の入滅に際しての諸弟子の思索沈思にあるとされる。 『涅槃経』にも明らかなように、自覚覚他覚行円満して人格を完成した仏陀は全知全能であるべきはずなのに、なぜ入滅されるのかを考え抜いた挙句、仏は化縁完了して早や存在の必要性がなくなったので、自ら滅を示されたのであるが、しかし生身は亡んでも真身は永遠に存在すると理解して、やがて生身と真身との二身が成立するに至り、そこから種々の仏身論が発生したのである。
本仏釈尊が十方諸仏の能統一であるということは、寿量品の「我れ仏眼を以て、其の信等の諸根の利鈍を観じて、度すべき所に随ひて、処処に自ら名字の不同、年紀の大小を説き」、「或は己身を説き或は他身を説き、或は己身を示し或は他身を示し、或は己事を示し或は他事を示す」の二文に明瞭であり、聖人はこれを『開目抄』に「此過去常顕るる時、諸仏皆釈尊の分身なり」(定五七六頁)、「今久遠実成あらわれぬれば、東方の薬師如来の日光・月光、西方阿弥陀如来の観音・勢至、乃至十方世界の諸仏の御弟子、大日・金剛頂等の両部大日如来の御弟子の諸大菩薩、猶教主釈尊の御弟子也。諸仏釈迦如来の分身たる上は諸仏の所化申すにをよばず」(定五七七-八頁)と示しておられる。
さてこの本仏は、仏身論としては法・応・化の三身の系統としての無始無終・非因非果の法身ではなく法・報・応の三身の系統としての因果の報身であることは明らかで、智顗はこのことを『法華玄義』の本門十妙のところでは、経文の「我本行菩薩道」を本因妙、「我成仏已来甚大久遠」を本果妙に配釈して寿量品の仏が因果乗々の報身仏であることを示し、『法華文句』の寿量品釈では、広く諸教の二身論・三身論を顧みつつ『法華論』の法・報・応三身説に依ることとし、経の照理不虚段の文によって「非如非異不如三界見於三界」とは法身義、「如来如実知見三界之相」とは報身義、六或示現は応身義であると示し、遂に「此品の詮量は通じて三身を明す、若し別意に従はば正しく報身に在り、何を以ての故に、義便に文会す(略)正意は是れ報身仏の功徳を論ずるなり」と一身即三身の中では報身を正意とすることを明言する。 それが天台宗の正統的仏身論であり、純粋法華教学の伝統である。 ところが仏陀論も衆生成仏の問題にかかわらなければならないから、智顗はここで「修徳の三如来」のみならず「性徳の三如来」も明かすことに言及している。 つまり久遠の本仏は修徳の三如来、衆生は性徳の三如来であるというわけである。
六祖湛然も衆生成仏仏身論において論成するについて、智顗の意を受け継ぎ、これを更に強調する。 『金剛錍論』に「一成道すれば法界は此仏の依正に非ざるはなし。一仏既に爾り、諸仏咸く然なり。衆生自ら仏の依正中に於て殊見を生じて苦楽に昇沈し、一々皆計して己が身土と為せるのみ。浄穢宛然として成壊斯に在り」とは衆生皆な仏の依正中に在るのは釈迦成道の恩恵によるという意であり、また『弘決』巻五に有名な「当に知るべし、身土の一念三千なり。故に成道の時、此の本理に称うて、一身一念法界に徧ねし」とは智顗の『止観』の「介爾も心有れば即ち三千を具す」の文の補釈であるが、智顗が「介爾も心有れば」を条件として三千性具を論じたに対して、湛然は釈迦成道のとき所詮の法身が法界に周遍して衆生具されるという。 修因感果報身を以て衆生の性具三千を論じたわけで、法身理平等による具論ではない。
六祖湛然の諸著作を始めて日本に将来した人は最澄であり、中でも『金剛錍論』を珍重して明曠の註と会本して『註金剛錍論』を製作した。 従ってその仏身論報身為正である。 『守護国界章』下の「弾麁食者謬破報仏智常章第三」は天台宗の三身常住論(法華文句)の中の報身常住論に対する徳一の報仏無常論を破したところであり、また『註無量義経』の徳行品釈に「唯だ一人有りて修顕得体し、法界に周遍して常寂光に居すれば、三千世間の依正も宛然として自受法楽す」というのは、湛然の意をうけて、釈尊成道を契機として三千依正の自受法楽を論成したものであり、天台宗伝統に忠実に従った意見である。 最澄は唐から天台円教と共に真言密教をも相承し研究したから、密教に関する知識もあったに違いないのに、本分の天台円教学に従ったのである。 ところが第三代座主円仁は大陸の密教を大幅に叡山に移入して、密教は円教に結局は勝るという教判に従ったため、仏身論においても大日法身に影響されて、法身為正論に移行した。 円珍安然も同様である。 法身為正の証拠を挙げると、円仁は『真言所立三身問答』に「問ふ、若し自他受用倶に是れ法身なりと言はば、第三の応化も亦是れ爾るべし。答ふ、亦法身と為して碩失なかるべし。何となれば化身も亦是れ理内の常照の用の故に(略)故に知る、三仏は唯是れ理内の常照にして実相法身也」という。 正しく法中論三の明文で、天台宗の正在報身論は今、正在法身論に置きかえられたわけである。 師説を継承した報身常住論は円仁も『三身義私記』の中で展開しているが、恐らくこれは入唐前の習作であろう。
次に円珍には顕教部の著作と密教部の著作とが両存するが、顕教部著作においてさえ、例えば『法華論記』巻八で十無上中第八の示現三種仏菩提の註釈部分で一四の項目を立てる中の第一一随縁感見門において「今案ずるに、若し大位を説けば、円教は法身、別教は報身、通教蔵教は応身なり、又化身と名づく。故に円の三身は法中論三にして他と同じからず」といい、『授決集』の三身仏決四九においても「唯だ大日法身即釈迦牟尼仏(略)若し然らずば皆な小乗義也(略)今只だ理に約して三名字を立つ」と理法身義を立てる。
第一八代座主良源が比叡山に興学のために論義を起して以降、平安末期にかけて成立した中古天台は、これらの密教畑の中で研究熟成した教学を全面的に受容して、これを法華経の名の許に再編した口伝仏教に外ならないから、仏身論としての特色である無作三身論も当然ながら法身中心であって、衆生に対する釈尊成道の意義をほとんど全く顧みることがなく、底下の凡夫を即ち直ちに法身によって絶対肯定しようとする。
日蓮聖人は日本天台宗から密教・華厳学等の夾雑物を可能な限り排除して純粋法華学を樹立しようと努力された。 従ってその仏身論も法華教学の伝統に根ざしたものであり、報身中心でなければならない。 『法華真言勝劣』に「大日経並に諸大乗経の無始無終は法身の無始無終也、三身の無始無終に非ず。法華経の五百塵点は諸大乗経の破せざる伽耶の始成、之を破したる五百塵点也」(定三〇八頁)とは法身中心主義の否定である。 法身無始無終では伽耶始成を破することはできない。 なぜなら法身無始無終とは元来は仏の所証の真如理境に外ならず、従って伽耶始成のときもその所証は無始無終の法身理であるから、所証の理でもって能証の仏の成仏の時を破ることはできない道理である。 法華経の五百塵点は能証のの久遠本成道というであるから、伽耶近成のを破ることができるのである。
『開目抄』に「雙林最後の大般涅槃経四十巻・其外の法華前後の諸大乗経に一字一句もなく、法身の無始無終はとけども応身・報身の顕本はとかれず」(定五五三頁)とあるのも、さきの遺文と同意であって、報身の顕本とは能証の智の顕本、応身の顕本とは仏の慈悲救済の活動が四十余年以来ではなくて、本以来続行されているということである。 『本尊抄』に「五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏也」(定七一二頁)とあるのは、これらの主張の要約に外ならない。 これらによって聖人は決して法身為正論ではなかったことが解る。 殊に『開目抄』の「本門にいたりて、始成正覚をやぶれば、四教の果をやぶる。四教の果をやぶれば、四教の因やぶれぬ。爾前迹門の十界の因果を打やぶて、本門十界の因果をとき顕す。此れ即本因本果の法門なり」(定五五二頁)の本因本果の法門は、まさに湛然・最澄の釈迦成道の意義に関する説を見る思いがする。 湛然最澄は近成・遠成に関りなく、単に釈迦の成道が衆生に果す役割を説いたが、聖人はこれを久成の釈迦の本時成道に顕本して説き改めたわけで、本果開顕の意義は迹果の破斥にある。 迹果が破られれば迹因も順って破れる。 迹因が破却されれば本因が立つ結果となる。 本因とは無常の九界を常住において価値づけることであり、ここに衆生を本因妙として絶対肯定する根拠は、本果妙の開顕にあることが分る。 釈尊の本時成道によって衆生法を妙ならしめたわけである。 但しこれはまだ談であって、実践論としては『本尊抄』の受持譲与の説を待たねばならない。
聖人の教説中にも間々、法身仏論もあるにはあるが、それはあくまで対告に応じ時に応じた随機の説であって、基本は報身にあったと堅く信を取らねばならない。
湛然『五百問論』、円仁『三見義私記』、宇井伯寿『仏教汎論』、浅井円道『上古日本天台本門思想史』》(浅井円道)

【補記】《『遺文辞典』歴史篇「身」の項》

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