註無量義経
註無量義経
ちゅうむりょうぎきょう
三巻。
伝教大師最澄(七六七-八二二)撰述。
無量義経注釈、無量義経註鈔、無量義経開発等とも呼ばれる。
『正蔵』五六巻二〇三頁、『日蔵』第一二法華部章疏二、『伝全』二巻(新版は三巻)に収録されている。
法華経の開経といわれる『無量義経』の注釈書で、まず経題釈、次に徳行品第一、説法品第二、十功徳晶第三の文々句々を解釈し、『無量義経』は従一出多の義を述べたものであり、従多帰一の義を明かす法華経の開経分であることを強調している。
本書は最澄の著作として諸目録に全て記載され、真撰であることは確実と思われるが、記述には誤りと認められる箇所が散見される。
『無量義経』の注釈は、早くは奈良朝時代に伝えられ、石田茂作『写経より見たる奈良朝仏教の研究』の奈良朝現在一切経疏目録(一〇八)には劉虬『註無量義経』、吉蔵『無量義経統略』、円測『無量義経疏』等が記されているが伝わらず、現存する最古の注釈としての意味も大きい。
これらの既存の注釈書を参照したか否かは不明。
最澄は注釈するに際し、まず経題釈を施して『無量義経』の意義を記し、「この経名は法華経の一七ある異名の第一に当たる故に、法華経の開経、序分であり、その無量義という名は真実なる一法より無量の義を出す(従一出多)」との意味であると述べている。
開経、序分であるということは、同じく最澄の『法華秀句』と照し合わせると理解し易く、『無量義経』は従一出多を本義とする所に他の爾前権大乗経の随他意語より法華経に近く、また従多帰一の法華経に対すれば随他意に摂せられるが、能生の一法である無相の理智は法華経と同じである故にいえると説かれる(浅井円道『上古日本天台本門思想史』)。
次いで経文を釈して「徳行品」では、この品の中に小乗の徳、菩薩の徳、如来の徳及びそれぞれの行を説くと、品名の由来を述べる。
また「一時」というのは、正覚から四十余年後であり、『無量義経』『法華経』を説く時であると強調する。
更に経文の「性相の真実を分別す」に対しては、千如性相、三千世間法を分別すと解釈し、あるいは五味、三因仏性、寂光土等によって解説している。
続いて「説法品」では、正説分であり一一に分れるといいながら、第七までしかあげていない。
経文の「一切諸法は性相空寂」について、これは十如是を意味し、その中の如是性と如是相だけをあげていると解し、性とは中、相とは仮、空は空、寂はその順序を否定するのであると、いわゆる三諦円融の考えが示される。
但し一念三千義を強調するには至っていない。
また「円教の即是菩薩等、これ直道と雖も大直道にあらず。今この一法門は既に先説と異なる。故に下の経文、四十余年未顕真実と云う」(『伝全』三巻六〇六頁)と、爾前円教は直道ではあっても大直道ではないとして、権実両円に区別を立てている。
日蓮聖人も権実相対判を示す時に、この最澄の釈をよく引用している点が注目されよう(『唱法華題目鈔』等)。
更に五時八教の意味を示す用語も見出される。
最後の「十功徳品」は、正説分に説く一〇種の正行を行う行者の得る、一〇の利益を説くと示している。
《証真『山家註無量義経抄』、『遺文辞典』歴史篇「無量義経の註釈」の項、『大蔵経全解説大事典』「二一九三・註無量義経」の項、『仏書解説大辞典』「註無量義経」の項》