曾谷入道殿許御書(一七〇)
曾谷入道殿許御書(一七〇)
そやにゅうどうどのがりごしょ
二巻、文永一二年(一二七五)著。
真蹟上下二巻、上巻二六紙、下巻一九紙、計四五紙完、千葉県中山法華経寺蔵(重要文化財)。
また本書の草案真蹟三行断片(第三七紙部分に相当)桑名顕本寺蔵。
一行断片(第四〇-四一紙の間に相当)京都本隆寺蔵。
四行断片(第四一紙部分に相当)福山妙政寺蔵。
九紙断片、身延曾存(『日乾目録』第六箱の部に「一、上行所伝抄 九紙整足と見たり」とある)。
漢文の白文体にて丁寧に書され、御消息というよりは一書たるの筆風である。
題号は後人置題。
『日常目録』には「遣太田禅門許御状二帖」とあり、また『構索抄』(健抄)、『取要撰時抄』(扶老)、最近では「がり御書」ともいわれる。
『構索抄』とは冒頭の「構索良薬」の文によった置題、『取要撰時抄』とは数ヵ月後の『撰時抄』の基礎をなすと考えられたからである。
対告は文末の宛名によると、曾谷教信・大田乗明の両人。
述作の直接の動機は、両氏に対して経論章疏の蒐集を依頼するにあるが、これに寄せて『教機時国鈔』以来次第に充実し完熟するに至った五義判を披瀝したところに主旨があり、筆致・分量・内容から見て、五大部に次ぐ重要な遺文である。
二段にわけて本抄の梗概を述べれば、第一段は五義の披瀝、第二段は聖教蒐集の依頼(外護の勧め)である。
初めに「夫れ以れば、重病を療治するには良薬を構索し、逆謗を救助するには要法には如かず」とは一書の綱領を提示したものであり、末法日本国の逆謗の衆生の救済には、要法の南無妙法蓮華経でなければならない。
その任に当る師は上行菩薩であることを明かすところに、本抄の綱領がある。
次に挙げられる五義は構索良薬の方法である。
ただし五義の配列順序は『教機時国鈔』のときと違って、時・教・国・機・師と示される。
何故順序を違えたか、何故に序を師に代えたか等に関する御説明はない。
次に五義の詳説に入って、初めに末法の機を論ず(定八九五頁八行目)。
未謗の機には「忽ちに大法を与へざれ」、已謗の機には不軽菩薩の如く「強て説くべし」。
在世の衆生は本已有善の機(未謗)の故に、まず小権の教を説いて根機を練り、しかる後に実大乗を与えて脱せしむ。
華厳経には菩薩の得道、観経には凡夫の得道を説いて、法華以外による得道があるように見えるが、実はそれらは過去五百億塵点・三千塵点の下種が適々そのとき熟脱したに外ならない。
また大日経等の得道とは、所詮は彼経には種熟脱を説かない故、即身成仏を誇っても有名無実なり。
さて摂折論を滅後正像末に配当すれば、正像二千年は在世に同じく下種の者も有る故に直ちに大法を説いてはならない。
末法は在世結縁の者なき故に、不軽菩薩の如く折伏下種すべき時である。
ところが今時の学者は時機に迷惑し、下種の由来を知らぬ。
殊に真言宗は甚だしい。
その素姓を尋ねれば会二破二の教にすぎぬが、元祖の善無畏が天台宗の一行を語らって天台の智恵を盗み取り、大日経に摂入した。
この事を弘法・慈覚・智證は知らず、伝教は推知したが、分明には述べずと。
次に末法の師と教とを述べる(定八九八頁四行目)。
仏滅後の初の五〇〇年は迦葉・阿難らが四阿含らの小乗を弘通して、衆生の軽病を対治す。
今の律宗・倶舎宗・成実宗なり。
次の五〇〇年には馬鳴・龍樹・無著・天親らが小乗を破して華厳・般若・大日・深密等の大乗を弘通し、衆生の中病を治す。
今の三論宗・法相宗・真言宗・禅宗等なり。
彼らが一乗経を弘通しなかったのは、一に自身堪えざる故、二に機なき故、三に付属なき故、四に時なき故である。
問、しかし真言宗では龍猛菩薩は提婆には釈迦の顕教、龍智には大日の密教を授けたが、龍智は阿羅苑に隠居したために、先に顕教が漢土に入り、のちに善無畏らが密教を発見して漢土に渡したというが、如何。
答、大日如来が世に現れて真言三部経を説いたというか。
また龍猛以前には印度には真言三部経はなかったというか。
かかる謗法の大妄語を信ずる故に震旦は蒙古に敗れ、日本もまた侵されようとしているのだ。
さて像法に入って初期に漢土に仏法渡来。
前四〇〇年間は南北一〇師の異義続出、その後一〇〇年間に南岳・天台出世して法華の実義を弘宣。
しかし円定・円慧のみにていまだ円頓戒壇を立てず。
六〇〇年にして唐太宗のとき法相宗渡り、則天皇后のとき華厳宗興り、第八代玄宗の代には真言宗渡来。
この三宗の興盛により天台宗は衰微した。
像法の末八〇〇年にして伝教大師出現、日本に円頓戒壇を建立して衆生の重病を治した。
しかし天台・真言の勝劣については不分明。
今末法に入って二二〇余年、三災しきりに起り、五逆・謗法の二輩国中に充満。
これらの大悪の輩を救済する秘術として、大覚世尊は仏眼をもって末法を鑑知し、一大秘法を留め置かれた。
宝塔品から神力品までの説相によれば、この大法付属の大士は本化の四菩薩であり、「濁悪の衆生は此大士に遇て仏種を殖ゆ」。
天台伝教がこれを弘通しなかったのは、仏の付属がなく、「弘法の限」を守ったからである。
この外の三論・法相・華厳・真言の三蔵人師は「暗師也愚人也」。
その一例を挙げれば、真言宗の弘法は『秘蔵宝鑰』に法華を戯論というが、それは得一の一乗方便、法然の捨閉閣抛にもすぎた謗法である。
また『二教論』に震旦一国の人師を醍醐盗人というが、醍醐を説く『六波羅蜜経』は唐末の訳であり、天台・華厳らの人師がこれを盗める筈がない。
これ私曲の言ではない。
「専ら釈尊の遺誡に順て諸人の謬釈を糺す也」。
最後に法華弘通の時と国と師を示す(定九〇八頁九行目)。
『大集経』の五五百歳説によれば、今は第五の闘諍言訟白法隠没の時に当る。
「随て当世の為体、大日本國と大蒙古國と闘諍合戦す」。
そして薬王品には「後五百歳中広宣流布於閻浮提」云云とあるから、末法流布の国は日本国である。
その証拠は『瑜伽論』、肇公の『法華翻経後記』、遵式の『天竺別集』、伝教大師の『法華秀句』『守護章』等にある。
故に「予は地涌の一分には非ざれども、兼ねて此事を知る。
故に地涌の大士に前立ちて粗ぼ五字を示す」と。
第二段聖教蒐集の依頼(定九一〇頁七行目)。
「此大法を弘通せしむるの法には必ず一代の聖教を安置し、八宗の章疏を習学すべし」。
しかるに予が年来所持の聖教は「両度の御勘気、衆度の大難」等によりあるいは散失、脱落、損朽した。
これを黙止せば「弟子等定んで謬乱出来の基也」。
ところが御両人は「越中の御所領の内、並びに近辺の寺々に数多の聖教あり」といわれる。
どうか「両人微力を励まし、予が願に力を副へ、仏の金言を試みよ」。
『仁王経』の七難の文や『法華経』の信毀罪福の文に照合すれば、日本国に必ず「法華経の大行者」あるべし。
どうか外護を加えて大福を積み給えと。
上述の通り、本抄には『撰時抄』と共通する趣旨が多く見られ、他宗批判も真言宗批判を主としている。
しかし台密の慈覚批判においては、まだ名を挙げるのみで、その内容を『撰時抄』のごとくには明らかにしていない。
また五義を列挙するが、法華流布の時と流布の師との顕彰を主としていて『撰時抄』と軌を一にしている。
《『録内御書諸註釈』、『日蓮聖人御遺文講義』七巻、『遺文辞典』歴史篇「曾谷入道殿許御書」の項、『日蓮辞典』「曾谷入道殿許御書」の項》
(浅井円道)