日蓮本仏論
日蓮本仏論
にちれんほんぶつろん
日蓮聖人を本仏と仰ぐ説。
宗祖本仏論ともいう。
「本仏」とは迹仏に対する語で、本地の仏、本門の仏、本覚の仏等の義によって説明されるが、簡単にいうと本体仏のことで、諸仏の根本身をさす。
法華経の如来寿量品で、釈尊が自らの久遠実成の因果を顕して、一切諸仏を分身とし三世十方の仏の本体なることを明かして、本仏として顕現した。
日蓮聖人はこの釈尊の久遠実成をもって本尊の義を定めるのであるが、日蓮本仏論とは、その久遠実成の釈尊をも垂迹仏として更にその奥に本仏を設け、この本仏が日蓮聖人となって現れたという説である。
この日蓮本仏論は特に日興門流の富士大石寺派(現在日蓮正宗)の主張である。
彼らは釈迦は在世衆生のための脱益(だつちやく)の仏で抜けがらであり、日蓮聖人こそが久遠元初自受用報身仏(くおんがんじよじじゆゆうほうじんぶつ)の再誕、末法の本仏であるといって、独特な異流の法門を作りあげてきた。
日蓮本仏論が聖人信仰を逸脱した曲説であることは既に各師によって論評されてきたところであるが、室町以後の大石寺の石山教学はこの日蓮本仏論が中心となって展開し、昭和に入って大石寺の在家教団創価学会が狂信的な伝道で盛んにこれを喧伝したため、社会的にも論議をよび、純正な日蓮信仰までが誤解されるに至り、現在創価学会の邪義として批判を浴びている。
創価学会発行の『仏教哲学大辞典』に、本尊を説明して、人本尊と法本尊をたて、その人本尊とは「主師親の三徳具備の御本仏日蓮大聖人のことである。
すなわち久遠元初の自受用報身の再誕であり、末法下種の主師親であり、本因妙の教主である大慈大悲の南無日蓮大聖人である。
百六箇抄に、久遠名字より已来(このかた)本因本果の主・本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮、とあり、一往の見方では上行菩薩の再誕が日蓮大聖人であるが、再往は、久遠元初自受用報身の再誕が日蓮大聖人」(四巻、九七三頁)であって本仏が凡夫の姿のまま出現したのであると記されている。
この思想は釈尊の説く法華経と日蓮聖人の説く法華経とは別個なもので、既に末法においては釈迦仏法は何の価値もなく、日蓮聖人の三大秘法の仏法こそが唯一の成仏教であるが故に、釈迦はぬけがらの仏(脱仏)、日蓮聖人は末法の本仏である、という考え方が基本にある。
そして、この大石寺流の日蓮本仏論は大石寺だけに相承されているという「両巻血脈」即ち『本因妙抄』と『百六箇相承』並びに『産湯(うぶゆ)相承事』等の偏狭な口伝書を論拠として形成されたのである。
この日蓮本仏論について、近代富士宗学の硯学大石寺五九世堀日亨は「日蓮本仏観は開山上人(日興)御代の原始教団には不言の間に実行せられて居た。
中興日有上人は顕はに口にして門の内外に叫ばねばならぬ事となったが、波動は存外狭かったようである。
第二の中興日寛上人の時更に筆に口に極めての明論が今更の如く非日蓮本仏論者の耳目を驚かして、寛上独創の本仏論の如く思はしめた」(福重照平著『日蓮本仏論』序)と述べていて、日蓮本仏論の思想形成に三人の大石寺貫首の名をあげている。
即ち開山の日興、九世日有、二六世日寛である。
この三人は日蓮本仏論に限らず、日蓮教団の中でも特異な展開をした富士大石寺の思想的基盤を作りあげ、その方向を決定してきた富士派の教傑である。
現在の日蓮正宗・創価学会の教義がこの三師を結んだ延長線上にあることはまちがいない。
以下三師の思想内容を検討する。
(1)富士の開山六老僧の白蓮日興(一二四六-一三三三)に既に日蓮本仏論があったというのは富士派の所伝であるが、これが事実でないことは日興の確実なる著書から明白である。
ただ最初に問題となるのは、富士派が自山の基礎的資料に対する客観的批判を拒否していることである。
資料批判という現在の文献学の成果にあえて目をつぶろうとしているのは、その思想の弱体を自ら露呈しているようなものだが、富士の石山教学が日蓮聖人・日興以後に偽作された教義書を金科玉条として、それらの偽書を依処として他門不共、自派独一秘伝相承の教学を形成し、強引に正統化しようと努めてきた歴史は既に指摘されているとおりであり、大石寺の唯一正統を強調する『身延相承』『池上相承』を始め、本門戒壇本尊と称するいわゆる「板本尊」の偽作などはその最たるものである。
この日蓮本仏論にしても『本因妙抄』『百六箇相承』を「宗祖直受日興」と盲信したところから起ったのであり、聖人の確実なる遺文には、当然のことながら自らが本仏だなどと述べているところは一ヵ所もないので、『本因妙抄』等の口伝書から曲解する以外になかったのである。
日興が血脈相承したという大石寺の相伝書をみてみると『本因妙抄』(『宗全』二巻一頁)は「法華本門血脈相承事」といい、「本因妙の行者日蓮之を記す」と書かれ、弘安五年一〇月一一日の日付となっている。
もちろん聖人・日興の真筆はなく、内容を一読しても中古天台の「三大章疏七面相承口決」に基づいて書かれた室町期の爛熟した中古天台教学の影響下に作成されたものと考えられ、文献にこの名が現れる頃から推定して聖人滅後一〇〇年頃のものという説が通説になっている。
この書は種本脱迹の勝劣判-下種益の日蓮聖人の題目を本とし、釈尊の法華経を迹とする本迹勝劣論、本門法華をも熟脱の迹とする-を強調する。
『百六箇相承』(『宗全』第二巻一一頁)は、「具騰本種正法実義本迹勝劣正伝」といい、本因妙の教主日蓮が日興に授与すとされている。
種脱勝劣せる百六ヵ条の本迹を述べるのであるが、一見偽書たること明瞭で『本因妙抄』と同じく聖人滅後中古天台の本覚法門に刺激されて謀作されたものと考えられる。
この他日興相伝の宗祖本仏論関係の書に『産湯相承』『寿量品文底大事』『本尊七箇相承』等があるが、後代、日蓮本仏論が盛んになった時期に偽作され日興相承に仮託されたものとみられている。
日興の確実なる著作からは逆に『御遺物配分帳』には「御本尊一躰釈迦立像」(『宗全』第二巻一〇七頁)、『与波木井書』に「仏は上行無辺行浄行安立行の脇士を造副進せて久成之釈迦に造立し進せ給べし」(『宗全』第二巻一六九頁)などと久成釈尊を本仏本尊と見ているような点が窺える。
大石寺四代日道の『三師御伝』には日興の遺告として「日蓮聖人云く、本地は寂光地涌の大士、上行菩薩六万恒河沙の上首なり。
久遠実成釈尊の最初結縁の初発道心の第一の御弟子なり」(『宗全』第二巻二五三頁)と釈尊の本化の弟子上行日蓮の信仰を伝えている。
これらをみても興門の上期教団に日蓮本仏論が確立されていたとするのは信用できない。
この思想が唱えられるようになったのは「両巻血脈」等に見られる如く、発達した種脱勝劣の思想を釈尊と日蓮聖人に配当した結果からであろう。
興門で日興滅後にその思想に種脱論がみられるのは、重須の三位日順、妙蓮寺日眼であるが、特に妙蓮寺日眼の『五人所破抄見聞』(聖人滅後九九年著作)は『本因妙抄』の思想に基づき、釈迦脱仏宗祖本仏を明確に論じている。
この教義を大石寺で最初に主張しだしたと考えられるのが、板本尊を偽作したといわれる日有の時である。
(2)大石寺九世日有(一四〇九-八二)は大石寺根本道場を主張して重須派と争い、楠(くすのき)板本尊を造立したとされている。
この日有は八品日隆の影響を受けてその種脱判を富士派の本尊論に適用し、脱益の教主は釈尊、下種益の教主は聖人であるとし、種脱勝劣の立場から宗祖本仏をいうに至った。
しかしその論はまだ不完全で、現今伝えられる日蓮本仏論は江戸期をまたねばならない。
日有には『化儀抄』等の門下筆受の著がある。
(3)近世に入って大石寺の独特な教学を大成し、今日の大石寺教学の基を作ったのが大石寺二六世堅樹日寛(一六六五-一七二六)で彼は「三重秘伝抄」「文底秘沈抄」「依義判文抄」「末法相応抄」「当流行事抄」「当家三衣抄」の『六巻鈔』を著して、いわゆる石山教学を確立した。
そして『観心本尊抄』の四種三段の第四重三段を種熟脱の三益に配し、本門三段に対し文底下種三段を設け、種と脱に法体勝劣をたて、文底下種事一念三千を開いて三大秘法とするのである。
即ち文底下種の妙法は釈迦所説のものではなく、本因妙の教主の久遠所得の大秘法で、末法においてそれを顕した日蓮聖人こそその本因妙の教主、本仏そのものであるとするのである。
ここに日蓮本仏論が完成する。
五百塵点の久遠実成の釈尊は文上本果妙の釈尊であり、この本果妙の釈尊を釈尊たらしめた本因の釈尊、即ち無作三身の仏体とたて、この久遠元初に本来有りのままで自ら法楽を受用している本因行の報身仏こそが、文底三段で顕本された教主とみ、それを「久遠元初自受用報身仏」とよぶのである。
従って法華経説法の釈尊はこの本仏の垂迹であり、今末法に下種する日蓮聖人は、下種の教主は唯一人なる故に本因妙の教主、久遠元初の本仏と全同であるというのである。
「文底秘沈抄」に「問て云く、教主とは釈尊に限るべし、何ぞ蓮祖を以て教主と称せんや。
答う、釈尊はすなわちこれ熟脱の教主なり、蓮祖は即ちこれ下種の教主なり、故に本因妙の教主と名づくる也」(『宗全』第四巻二八頁)。
また「故に知んぬ、本地は自受用身、垂迹は上行菩薩、顕本日蓮なり」(『宗全』第四巻二六頁)。
日寛はこの日蓮本仏論を正統化するために『本尊抄』の「此の時地涌千界出現して本門の釈尊の脇士と為(な)りて、一閻浮提第一の本尊此の国に立つべし」(定七二〇頁)の文を「本門の釈尊を脇士と為し」(『観心本尊抄文段』『宗全』第四巻二三四頁)と読み変えて本門の釈尊を迹劣とするのである。
このような我田引水の恣意的な訓点が許されるはずもないが、大石寺の種脱判の行きつくところ、どうしても「釈尊を脇士とする」というような無茶な読み変えをしなければならなくなるのである。
この日寛の作為的な大石寺教学が創価学会に全面的に利用され、その思想的欺瞞の論拠にされたのである。
以上大石寺の日蓮本仏論の展開を考察したが、日蓮本仏論の根本理論が「種脱勝劣」にあることが明白である。
そしてその「種脱勝劣」の思想的基盤に、久遠元初の自受用身、即ち「本有(ほんぬ)無作三身」を志向する中古天台本覚法門が横たわっていることが看取できる。
大石寺・創価学会の偽作された口伝書による種脱判の最大の文証は『観心本尊抄』の「在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。
但し彼は脱此は種なり。
彼は一品二半此は但だ題目の五字なり」(定七一五頁)のこの文である。
その他『上野殿御返事』「今、末法に入りぬれば、余経も法華経もせんなし。
但南無妙法蓮華経なるべし」(定一四九二頁)等も引くが、それらの御書は都合のよい部分のみを取上げ、執筆の状況やその前後の文の流れを無視し、為にする解釈をしているので問題にはならない。
ただし、『本尊抄』の文は確かに聖人が種脱対判しているのである。
ところが同抄のこの文は、決して一品二半という本門の法華経と妙法五字とを対峙させ勝劣取捨せんとするものではない。
在世の本門と末法は一同に純円なのであり、釈尊が在世得脱のために説かれた本門は、再往これを考えれば「本門は序正流通倶に末法の始めを以て詮となす」であって、そのまま下種の秘法を具しているといっているのである。
日寛は法華経(脱)と題目(種)との法体そのものに異りをみ、別個なものだから取捨をせねばならないとするが、聖人はあくまでも釈尊顕説の法華経の本門において初めて本迹が一如し、種脱が一具したとみ、本門の教こそ脱にしてしかもその脱によく種を内含するものであると宣明されて、種脱一双・因果具足の本門の題目を末法の要法とされたのである。
だからこそ先の文のあとに「我が内証の寿量品」といい「寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字」といって、寿量品に内含秘蔵されている題目を弘通すると述べられているのである。
日寛のいうように寿量の本門法華を脱仏の教として捨ててしまえば聖人の題目をも捨てなければならない。
『開目抄』にいう「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり」(定五三九頁)という文を、寿量品では顕示されない秘法が文底にあるとして、文上文底の勝劣をつけるのは、あまりにも遺文を曲解するものであろう。
この文こそまさに一念三千の仏種が本仏釈尊顕本の寿量品の文に内含されていることをいうのであり、だからこそ「寿量品を知らざる諸宗の者は畜に同じ」(定五七八頁)と断ぜられるのである。
大石寺の種脱勝劣が、日蓮聖人の思想から出たものではなく『本因妙抄』等の志向した中古天台口伝法門の久遠元初の天真独朗の法門に依っている以上、教観相具・本因本果不二の聖人教学の宗是を破壊する傾向に赴くことは当然の理だが、日蓮本仏論もその逸脱の上に立てられた誤謬の法門である。
《『宗全』二巻「興尊全集・興門集」、同第四巻「日蓮正宗部」、望月歓厚『日蓮宗学説史』、執行海秀『日蓮宗教学史』、創価学会教学部編『折伏教典』『日蓮大聖人御書辞典』、福重照平『日蓮本仏論』、日蓮宗宗務院編『創価学会批判』、『日蓮辞典』「日蓮本仏論」「人本尊(にんほんぞん)」の項》
(小野文珖)