妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

具騰本種

ぐとうほんしゅ #777

具騰本種

ぐとうほんしゅ

雖脱在現具騰本種の略。
「脱は現に在りと雖も、具(つぶさ)に本種を騰(あ)ぐ」と読む。 『文句記』会本一の文。
ち『法華文句』会本一において、今より経文の一々に四種釈(因縁・約教・本迹・観心)を施して解説するに先立って、まず四種釈の意味を説明するが、その中の因縁釈を説明する時、因縁とは仏と我ら衆生との感応の意味だとして、四節の種熟脱を説く。
第一は「衆生久遠に仏の善巧を蒙り、仏道の因縁を種えしむ-(久遠下種)、中間に相値て更に異の方便を以て第一義を助顕して之を成熟す-(中間熟益)、今日雨花地動して如来の滅度を以て之を滅度す-(今日脱益)=(寿量脱益)」、第二は「久遠為種、過去為熟、近世為脱=地涌等是れ也」(以下の二節は略)の文を湛然は扶釈して「初の二節を本眷属と名く」。
初の第一節は本眷属の地涌菩薩であると大師は指定してないが、雖脱在現具騰本種だから、本眷属と称してよいという。 ち第一節は「今日」の脱益、第二節は「近世」の脱益で、両者は相違するが、第一節の脱益は今日現在の法華会にあるけれども、今日脱益の理由を尋ねれば久遠下種、つまり本種にあり、本種が実を結んで今日脱益を得たのであるから、第一節第二節ともに久遠下種である点において、共に本眷属の種熟脱を表すと見てよいという。
ところが日蓮聖人は『曽谷入道殿許御書』で「問て曰く、華厳の時別円の大菩薩、乃至観経等の諸凡夫の得道は如何。 答て曰く、彼等の衆はを以て之を論ずれば其の経の得道に似たれども、実を以て之を勘ふるに三五下種の輩也(略)妙楽大師云く、雖脱在現具騰本種」(定八九六頁)といわれる。
華厳ないし観無量寿経等の爾前経にも得道(脱)があると各々の経に書いてあるのは、仏の言葉であるから信じなければならないが、実は得道の時はその経の説時であっても、脱の根源は種にあり、種は三千塵点の昔の大通下種、五百億塵点の昔の久遠下種であり、その時の法華聞法の種が成熟してたまたま各々の経の時に脱益を得たにすぎない。 種に遡れば法華の得道であることを論成するための援証としてこの文を引用する。
爾前無得道の証拠に引かれるわけであるから、脱は種に還らねばならぬとする点では湛然と同義であるが、今日脱と近世脱との同意を表すために用いた湛然の語は、日蓮聖人により爾前無得道論に随義転用されたことになる。
その後、この文は慶林日隆、日有以後の興門派等で盛んに使用された。
《『遺文辞典』教学篇「雖脱在現具騰本種」の項》

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