種脱
種脱
しゅだつ
種とは下種益のことで、脱とは解脱益のこと。
天台大師は『法華玄義』巻一で法華経には諸経に超越する概念として三種があるとし(三種教相)、その第二が化道の始終不始終の相である。
この第二の教相は、法華経化城喩品の大通智勝仏の第一六王子として釈尊が三千塵点劫の昔から、つねに一貫して下種益・調熟益・解脱益の三益を繰返して衆生を教化して今日の成道になったという教説によって立てられたものである。
日蓮聖人はこの三益論を基盤として、聖人独自の末法観・謗法観によって、下種論を展開し、在世の本門と末法とを対判して、釈尊在世を脱益の機、滅後末法を下種益の機と見なされたのである(『本尊抄』)。
そこで、この下種益という成仏の始め、本因妙と、脱益という成仏の終り、本果妙の関係をどのように位置づけるかが、聖人滅後の教学者の大きな課題であった。
この下種と脱益との関係を論ずるものを種脱論というが、この種脱に勝劣を立てる日興門流の如き種脱勝劣論があり、また種脱に一応の勝劣を立てるが、その法体においては同じと見る日隆門流の種脱同体論等がある。
これに対し、下種される仏種は因果具足であって、仏種の中に本因本果があることから、下種脱益という見方もあり、種脱は一双のもの、種の中の脱、脱の中の種と見るべきであるという考え方も存在する。
さて、このような滅後の問題を論ずる前に、日蓮聖人の種脱の把え方を見ておかねばならない。
聖人は妙楽大師の『法華文句記』の「脱は現に在りと雖も具さに本種を騰(あ)ぐ」の文を重視され、釈尊在世の弟子は利根は爾前の諸大乘経で、鈍根は法華経に来って得脱するも、それは久遠本仏の教化によって植えられた仏種が在世に実ったからにほかならないと釈されたのである。
つまり、法華経の化道には種熟脱の三益があって、法華経そのものに成仏得脱の仏種が具備していることを物語っている。
このように法華経に仏種が内含され、しかも種熟脱の三益があることによって、凡夫の成仏も可能なのであって、仏種も説かず、化道の始終も説かない経典によっては、真の成仏は存在しない、と聖人は見られたのである。
『開目抄』に「真言・華厳等の経経には種熟脱の三義名字すら猶なし。
何に況や其義をや。
華厳真言経等の一生初地の即身成仏等は経は権経にして過去をかくせり。
種をしらざる脱なれば超高が位にのぼり、道鏡が王位に居せんとせしがごとし」(定五七九頁)と述べられたことは、成仏得脱は法華経のみであることの確認である。
『観心本尊抄』(定七一四頁)、『曽谷入道殿許御書』には、諸経における得道、仏因の問題が論じられ、「但し所詮彼々の経々に種熟脱を説かざれば還て灰断に同じ。
化に始終無きの経也」(定八九七頁)と断定されている。
このように法華経には三益があって、釈尊在世の衆生は本種によって、本門の一品二半に解脱益を得たのであるが、正像二千年を経た末法の人々はこの仏種を忘失してしまったという認識に立たれる。
釈尊在世の機は「本已有善」であったが、滅後末法の衆生は三千塵点劫、五百億塵点劫の遠化をも忘失し、「末法に入て在世の結縁の者は漸々に衰微して権実の二機皆悉く尽き」(定八九七頁)たのであって、まさにそれは「本未有善」の機である。
そのとき、不軽菩薩が毒鼓を撃たれたように、折伏逆化の弘通が必要であり、「題目五字を以って下種と為す」(同上)というのである。
つまり、末法は仏種たる一念三千=妙法五字が救済の要法であり下種の法体ということになる。
しかし、その下種は本仏の本果妙を内含せるものであって、下種即脱益の法体であって、時間概念としては、末法の今日を久遠本時に還元せしめ、末法の機根を久遠本時に所化と同質化ならしめようとするのである。
さて『観心本尊抄』には釈尊在世と滅後末法とを下種益と脱益とに相対して分別がなされる。
即ち「在世の本門と末法の初めは一同に純円なり、但し彼れは一品二半、此れは但だ題目の五字なり」(定七一五頁)と在世本已有善の機は一品二半において解脱を得、末法の本未有善の機は、題目の五字が下種の教法となることを明記されている。
つまり在世の本門と末法とはともに純円の機根であって、下種益・脱益は時機によって異なりをもつが、その仏種の体は久遠本仏の大慈悲―色心因果―であって、脱益は下種の現成であり、下種は脱益を内含するものである。
教法においても、本門の一品二半と、題目の五字との違いは法体は同一であって、種脱という化用に異なりがあると理解すべきであろう。
この『観心本尊抄』の文について聖人滅後の教学において、種々の解釈がなされた。
とくに、日興門流の種脱勝劣論は、聖人教学を曲解したものである。
日興門流の秘伝書の『本因妙抄』には、本迹の一往勝劣、再往一致説は邪義であり、種脱勝劣こそ正義の法であるという。
即ち種本脱迹の本迹勝劣判に立って、在世の法華は脱益であって本迹両門はともに迹である。
それに対し、久遠の法華は下種であって本である。
そして、末法に本化の菩薩が弘める法華は、在世脱益の法華ではなく、久遠下種の法華であると見るので、釈尊在世の法華と末法の法華とに勝劣をわかつことになるのである。
それゆえに、聖人の弘通せられる法華は釈尊の説かれた法華よりも勝れたものとなり、また脱益の法華を説かれた釈尊を脱益近成の迹仏と規定し、末法に下種の法華を弘める日蓮聖人を久遠本因妙下種の本仏、救主であると説くに至っている。
更に江戸時代に大石寺教学を大成した堅樹日寛(一六六五-一七二六)の教学をみると、まず教判においては、権実・本迹・種脱を論じ、これを下種三種教判と名づけている。
即ち、権実では爾前と法華、本迹では迹本二門の相違を論じ、種脱において文上・文底の相対を判ずるのである。
この種脱判は文上脱益の本門で真の一念三千を明かすがまだ理上に属し、文底下種の本門にはじめて事の一念三千が顕われるというものである。
つまり同じ本門の内に文上・文底、種脱を論じ、在世の本門は文上脱益で教相の重、文底下種の本門こそ観心の重であるとして、両者に種脱の勝劣、教観勝劣を論じるのである。
先に引いた『観心本尊抄』の文に約して言えば〈釈尊在世―一品二半―脱益―教相―劣、末法―題目五字―下種―観心―勝〉ということであって、種本脱迹を主張するのである。
次に本尊論においては本果妙の釈尊は脱益の教主で、日蓮聖人は、久遠元初自受用報身の再誕、末法下種の主師親、本因妙の教主であると主張して、釈尊脱仏、日蓮本仏論を標榜するのである。
この種脱勝劣論は日蓮聖人の精神に悖るものと言わねばならない。
さて八品派の祖、慶林日隆(一三八五-一四六四)は種脱勝劣の思想を有っているが、大石寺系のように種脱法体勝劣論ではなく、種脱を時機について論ずるのである。
日隆は末法は下種を正意と見なし、本門八品を主体とする本因妙下種を強調する。
その八品の主体である下種と一品二半の主体となる脱益とに法体的、あるいは事実上の勝劣論を看取することは不可能で、種脱同体論に留まっている。
それは一法の人法一如の上の種脱であって、ただ在世滅後の相異であると時機に約して種脱を相対しているのである。
日蓮宗では種脱に勝劣を立てるのではなく、種脱は一双と見なし、種即脱、受持(下種)即譲与(脱益)という立場である。
しかも『観心本尊抄』の種脱対判の解釈は、法体同、外用異と見るべきであろう。
何故なら、本仏の三世にわたる化道は始終一貫したものであって、そこに質的変化があれば、化道に始終がなくなることを意味するからである。
《小松邦彰・花野充道『日蓮の思想とその展開』(春秋社『シリーズ日蓮』二)、『遺文辞典』教学篇「種熟脱(しゅじゅくだつ)」の項、『日蓮辞典』「種脱相対」の項》
(北川前肇)