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本因妙抄

ほんいんみょうしょう #3354

本因妙抄

ほんいんみょうしょう

日興門流において日蓮聖人より唯授一人の血脈秘書として伝える著作で、具名は「法華本門血脈相承」という。
本因妙抄」と通称するのは巻首の題下に「本因妙之行者日蓮記之」と記されているところから来る。
『宗全』二巻、『富要』一巻所収。
日興門流では本書と『百六箇相承』とを合せて両巻血脈と称し、他門不共の秘伝書とする。
しかしながら本書は最澄に仮託された中古天台口伝法門の『三大章疏七面相承口決』(『伝全』五巻所収)の形式に準拠していることによって、聖人の撰述ではなく、後世の偽作であることが明らかであり、またそれは文中の用語によっても知られる。
日興門流のなかでも室町末期の学匠である広蔵日辰(一五〇八-一五七六)の『法華二論義得意鈔』に「御正筆の血脈書を拝せざる間は、謀実定め難し」(『宗全』三巻三七〇頁)と日蓮聖人の真撰であるか疑問であると述べているほどである。
大石寺学では『本因妙抄』『百六箇相承』の両巻血脈は、日蓮・日興より唯授一人相承によって大石寺の貫主に嫡々相承されたものであると伝えるが、今日、その聖人真蹟を伝えていないばかりでなく、それが団上代のいつ頃から存在するかも不明なありさまである。
日尊の本によって伝写したと伝える要法寺・広蔵日辰の写本奥書によると、両巻血脈は日興より日尊に伝えられて、京都の住本寺に相承されたことになっている。
京都の要法寺は上行院・住本寺を併合した寺院で富士大石寺等とほぼ対立の関係にあった。
両巻血脈が初めて文献に現れるのは、重須檀所の三位日順の『本因妙抄口決』であるが、この書も日順の著作ではなく後世の偽作である。
聖人滅後の康暦二年(一三八〇)、妙蓮寺日眼の『五人所破抄見聞』に両巻血脈の名が現れ「釈迦仏は無常の仏陀、不軽と上行(宗祖)とは唯名字初信の常住の本仏也」(『富要』四巻一頁)と宗祖本仏思想が述べられている。
五人所破抄見聞』とても、なお文献学的な検討が必要であるが、およそ聖人入滅後一〇〇年頃には、両巻血脈等の偽書が謀作されていた可能がかなりあるのではないかという推定もなされている。
大石寺の両巻血脈相伝については、大石寺六代日時(-応永一三年=一四〇六)の写本が事実であるとすれば、聖人入滅後一二四年以前のものとなるが、日時はこの思想を述べることなく、九代日有(にちう)の教学においても、直ちに両巻血脈そのものとの関係を見出すことは困難であり、むしろ慶林日隆(一三八五-一四六四)の八品派学からの影響が濃厚とされる。
従って室町期において日尊門流の住本寺系日教によって両巻血脈を根幹とする教学は行われたが、大石寺においては江戸中期の堅樹日寛(一六六五-一七二六)によって初めて両巻血脈の位置づけが完成され、それに基づく学が成立したと見ることができるとされている。
本書の構成は前述したように『三大章疏七面相承口決』の形式をそのままに、内容的には本迹について一往勝劣・再往一致と理解するのは邪義であり、種脱勝劣によらなければならないとする主張でつらぬかれている。
ち諸門流は法華経の迹門本門との関係について論じ、本門法華を勝とし、あるいは一往勝劣、しかし再往は一致の所説をかかげている。
しかし、それは法華経を釈尊の法華経として論じているところから出発しているとし、その法華経はいわば過去久遠に下種した本因の法華経(本の法華経)を現成せしめるための補助的役割を果すもの(迹の法華経)にほかならないと見なすのである。
釈尊の法華経は文上に即していえば過去の下種を脱益せしめるものであり、日蓮聖人の法華経は末法の今日において、下種されていない衆生に改めて仏種を下種するのであるから、法華経の文底(もんてい)の妙法たる久遠実成の名字(即)の妙法(本因妙)を直ちに受けとるものであるとする。
それが直達の正観・事行一念三千南無妙法蓮華経であるといって、南無妙法蓮華経の教えは釈尊の法華経によるのではなく、日蓮聖人の法華経に根拠づけなければならないとする。
そこで末法今時の日蓮聖人の名字即の身は、釈尊久遠名字即の位の御身の修行を移したものであることが述べられ、ここから後世の日興門流において日蓮本仏論が展開されるのである。
本書の巻首と巻尾に「本因妙之行者日蓮記之」が重視されるゆえんもここにある。
しかし本書末尾に「常寂光土第一義諦霊山浄土久遠実成多宝塔中大牟尼尊――上行菩薩――日蓮、――無辺行菩薩――日興」という系譜を挙げているところなどは、日蓮本仏論までには至っていないことを示すとするのが妥当であろう。
なお本書が日蓮聖人の著述とはいえず、後世、聖人に仮託して製作されたものであるということは前述した通りであるが、弘安五年一〇月一一日の撰述とされる点についても、この時点で聖人はもはや筆を執られることがなかったのであり不自然である。
ともあれ本書は『百六箇相承』と共に日興門流において聖人撰述として重視され、堅樹日寛の『六巻抄』において日蓮本仏論を明示した独特な大石寺教学が形成される根拠となっており、そのために日蓮宗門流とは異質の解が展開するのである。
執行海秀『日蓮宗教学史』、日蓮宗宗務院編『創価学会批判』》

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