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創価学会

そうかがっかい #862

創価学会

そうかがっかい

日蓮門下団の一派である日蓮正宗の信者組織の一つであり、単立の宗教法人として存在する日蓮系新興宗教集団。
に政治・文化・企業利益集団としての格を有する。
信者数は七八一万世帯と公称しているが、実際は二〇〇万台の世帯数と想定されている。
本部は東京都新宿区信濃町三二番地。
目的は「日蓮正宗の総本山である大石寺にある板本尊を本尊とし日蓮正宗の教義に基づき本尊流布ならびに儀式行事を行い、王仏冥合の理想実現のための業務、特にこれに必要な出版業および育文化活動を行う」としている。
日蓮聖人の真筆ではない偽作の板本尊を唯一絶対の本尊と潜称し本門の本尊と定め、この板本尊に唱題し帰依することを本門の題目とし、これ以外を邪法と決めつけ、日蓮正宗教義の広宣流布による大石寺への国立戒壇建立を本門の戒壇の実現とする等を主張、また釈迦脱仏論、日蓮本仏論を唱え、これら日蓮正宗伝統的教義と初代会長牧口常三郎の打出した価値論とを接木し、強引な折伏と罰論を駆使して会員を獲得、政党を結成して化を策す一方、人間革命・第三文明など数々の現代的粉飾をこらしながら、巨大な利益集団、企コンツェルン化を推進してきた。
その義は日蓮聖人信仰教義に背反し、強く讃め上げて悪しく敬う性格のもので釈迦仏と法華経との一体性の否定、本化上行仏使としての日蓮聖人や三大秘法等の義に関する歪曲と修正にみち、しかも義および方針の便宜主義的解釈と提示を特色としている。
前身は昭和三年(一九二八)に日蓮正宗へ入信した牧口常三郎、戸田甚一(城聖)によって同五年に結成された創価教育学会(同一二年に発会式)。
初代会長牧口は『創価育学体系』や機関誌『価値創造』を発刊、人生の目的は価値の創造と幸福の追求であるとし、利美を核とする価値論を立て、日蓮正宗義と接合させて普及した。
下の策に順応したが、伊勢神宮の神礼授受を拒否して戸田ら幹部と共に投獄されて病死した。
二代会長戸田は、創価学会と称し軍隊組織を模した独裁的な上意下達の機構を作り、同二六年より折伏大行進と称し歩兵操典『折伏教典』に拠って暴力的な折伏を進め“邪教排斥”と会員獲得を展開、日蓮正宗の権威を借りつつ「聖教新聞」や『日蓮大聖人御書全集』を刊行し正宗への主導権を掌握すると共に、事業収益自体の拡張を図り、国立戒壇建立の名目の下に政治進出に乗り出した。
同三五年に三代会長となった池田大作は、信者三〇〇万世帯の達成、邪宗教粉砕等を目標に掲げる一方、公明政治連盟を発足させ次いで公明党を結成して、政教一致による王仏冥合、国立戒壇実現をめざし「広宣流布は文化活動である」と主張、政治・文化・育・企にわたる各団体・組織を続々と派生させた。
だが同四四―五年に言論出版妨害抑圧件を起し、批判を拒絶する閉鎖排他の組織体質と政教一致・国教化の主張を糾弾する世論が高まるや、池田は表面的に学会のあり方を陳謝すると共に強引な折伏活動の停止、政教分離、国立戒壇論の否定を語った。
これを契に、創建設期から完成・総仕上げの期への転換を企図し、「社会での成長」を名目に排他的折伏から協調的な間接の折伏に転じ文化集団への衣替えを策した。
しかし政一致の実質的変更はなされず、政治文化集団への体制を一層強化し、その手段の一環として「創共協定」の締結や公明党の保守中道連合路線の推進を図った。
他方、この社会化によって信仰教義と日蓮正宗との矛盾は拡大し、政治進出の名分であった国立戒壇論をひっこめ同四七年に完成した大石寺正本堂をもって本門の戒壇と言い出し、更に一転して「広宣流布は終着点のない流れ自体」と述べるに至り、日蓮本仏論は池田本仏論へと移行、池田の著作という『人間革命』を現代の「御書」と称する等、その信仰教義は変転をきわめ、これと並行して学会施設による諸行の開催を始めとする独自化の傾向を強めた。
これに対して従来学会に屈服迎合してきた日蓮正宗側は、学会脱会者の内部告発や伝統教義を固守する妙信講の学会批判および池田本仏論や大石寺登山の停止による兵糧攻め等の学会独走に危機感を深め、それまでの不信・反発を一層強め池田への法華講総講頭辞任勧告や学会糾弾の動きを広げ、正宗と学会の対立抗争・離反の溝は深まり、この状況下で同五四年四月池田はとりあえず会長職を北条浩に譲り名誉会長となって批判をかわそうとする等、反日蓮聖人義への背反に伴う相互の対立を糊塗しながら、政治文化集団としての維持に苦慮を重ねている。

【補記】上記は昭和五六年発行『日蓮宗典』掲載の内容である。

《『史大辞典』八巻「創価学会」の項》

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