文上文底
文上文底
もんじょうもんてい
『開目抄』の「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり」(定五三九頁)の文により、法華経寿量品の文上と文底をいう。
文上とは文に表された釈尊の御意、文底とは文を通した釈尊の深秘の義意である。
とくに文底は特定の文や語を示すものでなく、寿量品に説き顕された釈尊の御意であり、これを文底秘沈と称する。
『開目抄』の右の文は「一念三千の法門は久遠釈尊が寿量品の文の心において示されたものである」というのであり、文上と文底を比較相対したものではない。
本門寿量品の文を通した底(文の義意)に一念三千の法門があるのである。
しかるに日蓮正宗では上底に勝劣を論じ、文上は釈迦仏法にして文上脱益、文底は日蓮仏法にして文底下種として日蓮本仏を説く。
このような理解は聖意に違背するものと言わねばならない。
《『遺文辞典』教学篇「文の底(もんのそこ)」の項、『日蓮辞典』「文上文底」の項》