摂受折伏
摂受折伏
しょうじゅしゃくぶく
摂受と折伏との併称。
略して摂折ともいい、摂折二門ともいう。
衆生を教え導くための方法に、衆生の善を摂め取り、成長させるように導く摂受の化導法と、衆生の悪を挫き破って導く折伏の化導法とがあり、この摂折二門は仏教の大綱である。
摂受折伏の名称は『勝鬘経』十受章に「我れ力を得ん時、彼々の処に於て此の衆生を見ば、応に折伏すべき者は之を折伏し、応に摂受すべき者は之を摂受せん。
何を以ての故に、折伏摂受を以ての故に法をして久しく住せしむ」とある。
また『大日経』第六には「秘密主、菩薩不麁悪罵戒を受持して、当に柔軟の心語随類言辞を以て諸の衆生等を摂受すべし。
或は余の菩薩の悪趣の因に住する者を見ば、之を折伏せんがために麁語を現ず」とあり、『瑜伽論』八六にも「復た次に大師は諸の声聞に於て略して五種の師所作の事あり。
一には正折伏、二には正摂受、三には正呵責、四には正説雑染、五には正説清浄なり」とある。
この二経一論が摂受折伏の典拠とされる。
更に義の所依として『悲華経』六の「我れ時に当に是の如きの衆生のために正法を説いて摂取調伏すべし」と、『大集経』九の「諸の衆生讃美に因るが故に、而も調伏することを得、呵責に因るにあらず。
或は呵責に因って調伏を得、讃美に因るにあらざるあり。
諸の衆生逆説法に因って調伏を得、順説に因らざるあり。
或は順に因って調伏を得、逆に因らざるあり」との二経が挙げられ、意の所依として『法華経』『涅槃経』の二経を挙げるべきであるとされる。
しかしこの摂折二門が教学上の重要な問題として取上げられたのは法華思想の展開においてであった。
中国の天台大師智顗は、法華・涅槃と摂折二門の密接な関係を『摩訶止観』巻一〇に次のように指摘している。
「夫れ仏法に両説あり、一には摂、二には折なり。
安楽行の長短を称せざるが如きは是れ摂の義なり。
大経の刀杖を執持し、乃至首を斬るは是れ折の義なり。
与奪途を殊にすと雖も倶に利益せしむ。
若し諸見流転せば、須く断じて尽さしむべし、若し神明を助練し、之を廻らして正に入らば皆摂受すべし」と。
妙楽大師湛然はこれを承けて『止観輔行』巻一〇に「摂とは謂く見を養い心を研くなり、折とは謂く破して遺芥無きなり」と釈している。
更に智顗は『法華玄義』巻九に「法華は折伏して権門の理を破す、金沙大河の復た廻曲なきが如し。
涅槃は摂受して更に権門を許す」と説いている。
右に引いた智顗・湛然の文は、摂受折伏の定義ともいうべく、権教を破するを折伏とし、これを許すを摂受となすのである。
日蓮聖人も智顗・湛然の意を承けて、特に折伏をもって弘教の方軌とし、盛んに権教諸宗の理を破されたのである。
『開目抄』に「無智悪人の国土に充満の時は摂受を前とす、安楽行品のごとし。
邪智謗法の者の多き時は折伏を前とす、常不軽品のごとし。
(略)末法に摂受折伏あるべし。
所謂悪国・破法の両国あるべきゆへなり。
日本国の当世は悪国か破法の国かとしるべし」(定六〇六頁)と述べ、『如説修行抄』に「正像二千年は小乗・権大乗の流布の時也。
末法の始の五百年には純円一実の法華経のみ広宣流布の時也。
此時は闘諍堅固白法隠没の時と定めて、権実雑乱の砌也。
敵有る時は刀杖弓箭を持つべし。
敵無き時は弓箭兵杖何にかせん。
今の時は権教即実教の敵と成る也。
一乗流布の時は権教有て敵と成りてまぎらはしくば実教より之を責むべし。
是を摂折二門の中には法華経の折伏と申す也」(定七三五頁)と述べているのがそれである。
即ち聖人は、末法の時代の謗法充満の国においては専ら折伏を正意とすべしと決断されたのである。
『開目抄』に「常不軽品のごとし」とあるのは、不軽菩薩が「我れ深く汝等を敬う」等の二十四字を唱えて但行礼拝した折伏の行相をいい、これは直ちに相手の根本善を刺激して仏性を顕発する化導法である。
聖人は『顕仏未来記』に自身の弘通と不軽菩薩の折伏行とを対比して「彼二十四字と此五字と其語殊なりと雖も其意之同じ。
彼像法の末と是末法の初と全く同じ。
彼不軽菩薩は初随喜の人、日蓮は名字の凡夫也」(定七四〇頁)と、その弘通の方法も教法も時代相も師の位も全く同じことを述べられている。
しかし不軽菩薩は二十四字を唱えて成仏の可能を指摘するのみであるが、聖人は妙法五字を唱えて成仏の本種を下すと共に、五字以外の教法は成仏の道にあらず堕獄の法なることを強調されたのである。
不軽菩薩の折伏は顕正の一面に終始するが、聖人の折伏は顕正と破邪の二面を有する。
聖人における破邪の折伏とは「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」と叫ばれた、いわゆる「四箇格言」である。
聖人は四箇の格言をもって当時の人々の根本惑を撃ち、妙法五字をもってする根本善開発の前提とされたのである。
そして聖人の折伏が不軽菩薩の但行礼拝よりも痛烈であったから、その蒙る迫害も棲惨であった。
それは聖人当時の諸宗は天台大師の教学の枠を奪って己の義を立てて法華を下し、伝教大師の末流でありながらその所説に背き法華を誹謗して一宗を立てた邪智謗法の輩であったからである。
しかしこれら諸宗が衰え、民衆の信仰が改った後は破邪の折伏から顕正の折伏に専念すべきであり、『開目抄』に「末法に摂受折伏あるべし」といわれたのは、その間の消息を語るものであろう。
折伏は化他の行であるが、また自己の信念を増進する自行ともなる。
聖人は折伏を行ずることによって迫害の連続となり、宝塔品の六難九易・勧持品の二十行の偈を色読し、この法華経色読の体験から上行の自覚に達せられたのである。
滅後の我々もまた折伏を行ずることによって、本化の菩薩の流類なりとの自覚を体得すべきであろう。
《『遺文辞典』教学篇「摂受」「折伏」の項、『日蓮聖人大事典』「日蓮聖人と摂受折伏・四箇格言」の項、田中智学『本化摂折論』『折伏とは何か』、石川海典「摂折論概説」『日蓮聖人御遺文講義』二巻、茂田井教亨『日蓮の行法観―その思想と生涯―』、小松邦彰・花野充道『日蓮の思想とその展開』(春秋社『シリーズ日蓮』二)》
(小松邦彰)