歌舞伎・浄瑠璃
歌舞伎・浄瑠璃
かぶき・じょうるり
日蓮聖人と事跡を脚色した歌舞伎や浄瑠璃を「日蓮記物」と呼称している。
江戸初期は、前代に続いて仏教が人間生活のかなり多くの面を支配していたので、浄瑠璃にも霊験奇跡がつきものであった。
そのなかでも、とくに霊験物、本地物といわれる仏・菩薩の由来や本地を説くものと、高僧の伝記や逸話を脚色した宗教色豊かなものが観客の興味を集めた。
それらは迫害を受けたり悲境に立たされていた主人公が、やがて不思議な力で奇跡的に助かり、超人的世界に導かれていくといった霊験功徳を説くもので、親鸞上人の一代記『しんらんき』(寛永初年頃の刊)や『にちれんき』(承応三年=一六五四=四月刊)も、そのような演出法で脚色されたものである。
この古浄瑠璃の正本『にちれんき』は日蓮聖人の伝説を題材にして、小松原や竜口法難から、その死に至るまでを描き、一代記として仏力、法力による事跡を脚色した信仰本位の作品で、現存の日蓮記物の正本としては最も古く、以後の高僧伝の先駆的役割を果したものといえよう。
次いで、これを改作したものに寛文から延宝年間あたり(一六七〇年代頃)にかけての、土佐少掾の正本『日蓮大聖人御一代記』、山本土佐掾の正本『日蓮上人徳行記』などがある。
その後、近松門左衛門作の『日蓮上人記』が享保三年(一七一八)一〇月に竹本座で上演されている。
正本が伝わっていないので内容は不詳だが、前述の先行作品を脚色したものであろう。
この作品を並木宗輔が添削して、まず『いろは日蓮記』として延享四年(一七四七)一〇月に江戸の豊竹肥前座で上演し、更にその外題を変えた『日蓮記児硯(にちれんきちごすずり)』が寛延二年(一七四九)一〇月に江戸の肥前座で上演された。
そして、この作品がのちの日蓮記物の原拠となったようである。
次いで、この作品に四段目の本間六郎左衛門館を増補して改題した並木鯨児・並木正三添作『日蓮上人御法海(みのりのうみ)』が、宝暦元年(一七五一)一〇月に豊竹座で上演された。
次に歌舞伎のほうでは、享保一一年九月に『報恩日蓮記』が江戸中村座で初演された。
配役は、七面大明神(二代目市川団十郎)、薬王丸(二代目中村七三郎)ほか。
次いで同一四年に『日蓮上人明星名木』が同座で上演された。
この二作が古いところで、文化一三年(一八一六)九月には『日蓮記御法花王(みのりのさくら)』が江戸河原崎座で上演され、更に文政六年(一八二三)六月には四代目鶴屋南北・二代目松井幸三作の『法懸松成田利剣(けさかけまつなりたのりけん)』が江戸森田座で初演されている。
また、天保元年(一八三〇)六月に勝俵蔵作の『南爾寄来妙法蓮華経(みなみにくりきのむしぼし)』が江戸中村座で上演された。
配役は、日蓮聖人・鵜飼勘作(四代目市川八百蔵)ほか。
次いで同九年一一月に中村重助作の『一世一代功力妙法字(くりきのだいもく)』が三代目尾上菊五郎の隠退披露の興行、一世一代の名残り狂言として同座で上演された。
そして、安政四年(一八五七)八月には三世瀬川如皐(じよこう)作の『当南身延妙利益(ときにみなみみのぶのりやく)』が江戸森田座で上演された。
配役は、日蓮聖人(六代目市川団蔵)、日興(初代実川延若)、日像(六代目坂東三津五郎)ほか。
更に慶応元年(一八六五)一〇月には鵜飼勘作の段だけを脚色した河竹黙阿弥作の『鵜飼石御法川船(うかいせきみのりのかわふね)』(石和川)が江戸守田座で上演された。
配役は、日蓮聖人・勘作(四代目中村芝翫)、東条左衛門(三代目市川九蔵)、日朗(六代目市川八百蔵)ほか。
明治期に入ると、明治二年(一八六九)一〇月に同じく黙阿弥作で、竜口法難の前後や佐渡塚原三昧堂などを仕組んだ『花椛(はなもみじ)高祖御伝記』が市村座で上演された。
配役は、日蓮聖人(七代目河原崎権之助)、日朗(坂東家橘(かきつ))、弥三郎(四代目中村芝翫)、弥兵衛(三代目関三十郎)ほか。
そして、明治一一年一〇月には、『延命院日当』物として初めて『日月星(じつげつせい)享和政談』が東京の新富座で上演された。
本作は、江戸日暮里の日蓮宗延命院の住持日道が女犯の罪で享和三年(一八〇三)に処刑された実説を、河竹黙阿弥が歌舞伎に脚色した七幕二〇場の大作で、当時の三大名優団・菊・左の出演も人気を集め、大好評を博した。
これ以後、本作は何度も上演されてきている。
次いで明治一四年一〇月には小川泰堂の『日蓮大士真実伝』により日蓮の一代を脚色した勝諺蔵(げんぞう)作の『日蓮大菩薩真実伝』が大阪中座で上演された。
大詰の身延山久遠寺本堂は、合天井より欄間の彫物まで実景を写し、舞台一面に畳を敷き、三代目中村福助が貫首となり役者一同が読経した。
この作品で日蓮聖人に扮した福助は大好評で、彼一代の当り役となった。
配役は、日蓮聖人・比企大学・身延山大教正(三代目中村福助、のちの二代目中村梅玉)、弥三郎・鏡忍坊・本間十郎左衛門(三代目実川延三郎)ほか。
また、明治二四年八月には同じく勝諺蔵作の『日出国(ひいづるくに)五字旗風』が中村座で上演された。
蒙古襲来の事件を脚色したもので、同じく三代目中村福助が日蓮聖人を演じて好評を博した。
次いで明治二七年五月に福地桜痴作の『日蓮記』(六幕)が歌舞伎座で上演された。
序幕の雀が谷大学三郎危難の場から、二幕の北条館讒言の場、三幕の竜口の法難、四幕の日朗聖人土牢の場、五幕の佐渡塚原問答の場、六幕の布教免許の場と、日蓮聖人一代の諸事件を巧みな趣向で仕組んでいる。
配役は、日蓮聖人・北条時宗・琵琶法師(九代目市川団十郎)、日朗・明星天童子・榛沢六郎・赤鬼人形の精・鳶の者(五代目市川新蔵)、平左衛門尉・本多六郎左衛門・伊賀平内左衛門・鳶の者(三代目片岡市蔵)ほか。
そして明治三七年四月に森鴎外作の『日蓮聖人辻説法』が歌舞伎座で上演され、明治四二年一一月には日蓮聖人の一代を脚色した水谷秀葉作の『日蓮上人』(三幕五場)が勝進之助一座により、東京神田の三崎座で上演された。
大正期に入ると、大正九年(一九二〇)三月に坪内逍遙作の『法難』が明治座で上演され、翌一〇年三月には、佐渡配流を脚色した田中智学作の『聖史劇佐渡』(七幕)が聖誕七〇〇年記念演劇として歌舞伎座で上演された。
配役は、日蓮聖人(東儀鉄笛)、日朗(横川唯治)、阿仏坊(加藤精一)ほか。
また、大正一三年一月に沢田正二郎作の『折伏の日蓮』が新国劇一座により、関東大震災直後の浅草公園劇場の焼跡に天幕張りで上演された。
配役は、日蓮聖人(沢田正二郎)、四条金吾の妻有明(久松喜代子)ほか。
更に翌一四年一〇月には本山荻舟(てきしゆう)原作、宇野四郎脚色の『史劇日蓮上人』(二幕)が帝国劇場で上演された。
以上が、浄瑠璃・歌舞伎の日蓮記物であるが、舞踊劇としては義太夫節の『勘作住家』や常磐津の『七里姫』などが知られている。
このほか、清元の『紫雲片瀬曙』で、道行文に模して江戸からの片瀬参りを謡いながら、竜口に着くと、「ここも昔は涙にて、もったいなくも高祖日蓮大聖人、邪法と浮名竜の口、すでに危き御命、天帝の助けにより、たちまち御身も明らけく、月の光も晃々と、晴れ渡りゆく秋の夜に、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
七字の功力今の世まで、片瀬籠りぞ隠れなき」と、竜口法難が謡われている。
また、歌舞伎では、文久三年(一八六三)八月に江戸市村座で初演された河竹黙阿弥作の『腕の喜三郎』(本名題『茲江戸小腕達引(ここがえどこうでのたてひき)』)で、喜三郎が日蓮聖人の法難にちなんで、「大難四ヶ度小難は、数の知れねえからだの疵、伊豆の流罪もまぬがれて、松葉谷や小松原。
その追討の抜身の中、土の牢へも幾度か、雨乞よりァ命乞い、片瀬片腕斬るまでにゃァ、悪い浮名も竜の口、佐渡の渡海の浪よりも、荒い気にせえ塚原の、束の間忘れぬ師匠の娘、引上げられたその上に、八の巻より大事な伝書(つてぶみ)、取られた上は是非がねえ。
おのが身延を捨てる気で、仕返しに来た喜三郎。
題目唱えて覚悟しろ」という台詞などは、よく知られているものである。
《伊原敏郎『歌舞伎年表』、田村成義『続々歌舞伎年代記』、飯塚友一郎『歌舞伎細見』、星野梅耀『劇に現れたる日蓮聖人』、山上ゝ泉『歴世法華文学物語』、『国史大辞典』三巻「歌舞伎」・七巻「浄瑠璃」の項》